103

 夢のように苦しい黄金連休。あと二日・・・。夜はいつもキース・ジャレットの『サンベア・コンサート』というCDのBOXセットを、一日一枚のペースで先週末からかけて聴いてます。つまり本日でまた最初の一枚目、KYOTOでのコンサートに戻りました。聴いてるとバイトのあれもあいまって、意識を失って(寝て)ます。
 最近思っているのは、ハイレベル(高度)な作品なんていらないということで、必要なのはマイレベル。私がこれだと思えるものを極めて究めて打ち出したいところだ。ということで、具体的にはミクシィ日記に書いてます(そしてやがてddmに転載します)。
 書き起こし作業は、丸太から仏像を彫刻(彫塑)する作業に似ていて、粗彫りから始めて徐々にディテイルを削っていくのに近い。と、あらためて思ったのだがすぐ忘れそうなのでメモ。あと、103文学賞というのを作って、マイ文学賞を尊敬する文学作品に進呈したいがどうだろう。もう芥川賞とか直木賞とか、それを獲ったからといってどうこう言って踊るのはやめにしようじゃないか、とか、紅白に出たら凄いとかっていうのは面白いから残ってほしいけど、やっぱり103文学賞もあったほうがいいんじゃないか、とか、バイトの帰りに自転車乗りながらひとしきり思う5月の夜。自分の以前の日記って、恥かしいからとかじゃなくて単に時間も機会もないから見返すことがないのだけれど(というか自分の過去の日記って、それこそ稀少な機会を得て見返すとすごい面白いって思うことが多くてそのままうっとり眺めていることさえあるのだけれど)、103文学賞の第1回受賞者は誰だろうって(その候補作の条件は、この1年間の文学作品から103篇をまず選ぶのだが、それは別にこの1年間に発表されたものでなくてもよくて、この1年間に僕が読んだものならよい。だから『古事記』を読んでそれを良いと思ったのなら、『明日の記憶』とならべて候補にしてもよい。というのはどうだろう。『明日の記憶』は読んでいないのだが)思っていたら、やっぱりナオコーラのあれだよな、と思って、過去に書いたナオコーラ作品の感想文(http://d.hatena.ne.jp/note103/20050325の5)以降)を読み返したら、やっぱり唯一の引用部分がすごく好きな部分であって変わらなかった。というか、その時の「文藝」って俺、借りたんじゃなくて買ってたんだ、珍しく。と思って久しぶりに今手元の本棚から引っ張り出したのだが、これって表紙の俵さんのジャケがすごく良くて惹かれたんだったなー。やっぱりヴィジュアル重要だな・・・昨日の画像で出したワッツタワーズのフライヤーもすごい良いけど、そんなふうに。
 ところで、そんなナオコーラ作品を読んだ日は1年以上前だったので、候補作から外れてしまった。いや、もうやっぱりこれで決定にして今年の10月3日に授賞エントリーを書こう。