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■アートをわかる、とはどういうことだろう。それは、目が肥えるということだろうか。良さが、よりわかるようになるということだろうか。凡人では見逃しがちなところを、余さず発見するだけの能力がつくということだろうか。アートをわかるということは、どういうことだろうか。
■そんな問いに対して僕が一つの結論として挙げるのは、アートを鑑賞することは、それを制作することに近似すべきだということだ。1年をかけて制作したものを、1秒で見れてしまうのがアートというもので、例えば小説や音楽でそれは出来ない。つまり、パッと見でそれをいいとか悪いとか言おうって段階で大きな間違いであり、また実はそれが面白いところでもある。
もし小説で、漱石の『草枕』とバルザックの『ゴリオ爺さん』を一秒で見分けるといってもそんなことは出来ない(言うまでもないが、装丁で見分けたとしても、それは小説の違いではない)。しかし、アートではそれが出来る(というか出来てしまう)。それはパッと視界に入り、ある種の印象を与えさえする。そしてその「印象」こそが重要で、それは作品をよくよく見ていく内に消えてしまって二度と帰って来ないこともあれば、いつまでも残ることもあり、また同時に、よくよく見てる内に「最初はなかった印象」が顕れて来ることもあって、このパラグラフの冒頭に挙げた「アートを鑑賞することは、それを制作することに近似すべき」は、すなわちこれを指している。
■では、「よくよく見ていく内に消えてしまって二度と帰って来ない」印象、とはどういうことか。これを忘れそうなのでメモっておきたかったのだけど、それはつまり、クオリア研究で有名な脳科学者の茂木健一郎さんが新潮の雑誌『考える人』で挙げていた図柄のテストに近い。一見何が映っているのかわからないグチャグチャとした図柄を見ながらそこに隠されている図像を見つけるというゲームのようなテストなのだが、これが何と、一回その隠された図像を見つけてしまうと、もう二度と最初に見ていたカオスの図柄を見ることは出来ない。それは、脳が勝手に像を結んでしまうからだ、という話なのだが脳の事はともかくとして、アートに関しても最初に見たときの印象の中には、そのようにしてやがて消えていってしまうものもあるかもしれなくて、それは良いことばかりではないのではないか、とも思う。のだが、しかし僕の印象では多くの人にとってアートは未だその「最初の印象」にとどまっている段階だと思うので、まだそんなことを気にしたり憂いていたりしてる場合でもないのかもしれない、とも思う。