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1113日記

 絶対毎日スエイ日記(http://www.sundial.co.jp/cgi-bin/byakuya/suei/read.cgi)の11月08日付エントリー『康芳夫さん「拝聴」』を読んだら、凄い人の凄い面白い話を、その人やその人の話が好きだという人が集まって、話す人のしたいと思う好きな話をみんなで聞く、というのをやっていて、なんというかペソ大(ペン大自主ゼミ)で僕はそういうことをやりたい。
 やりたいことはそういうこと、だけではないのだが、そういうこと、はとても大事な気がする。
 宿題をやって、或いはみんなのやってきてくれたのを見たりして思ったのは、「ああ、こんなこと出来るなー」というアイディアを出すまでは、言ってみれば誰にでも出来る、という事で、それを形にしてみるのがいわば第1関門だという事だ。それが出来ると今度はその形になったものを一人味わうまでというのが、これもやはり殆どの誰にでも出来るのだけど、その、人に提示してみるというのが第2関門で、ペソ大はとりあえずここまでは誘発出来るのだけど、これをして何がわかるのかというと、一人自足したその形になったものは、大概人に見せたときにようやくその「恥ずかしさ」がわかるということで、人前で例えばその「音」(宿題で音源を作って来いと言われて作った音)なり「楽譜」を提示した時に、初めて、その自分で作った作品の剥き出しのアリサマを作者は見ることができる、ことが多い。おそらくプロの作家というものは、そういった自作の剥き出しのサマを、必ずしも「毎度人に見せるまでわからない」という事がない類の人々なのだろうと思う。
 そんな事をつらつら書くのは、やっぱり作ったらすぐ人に見せてみる、という、普通に過ごしているとなかなか出来ないそれを習慣にしていこうと思って、それは大事な事だろうと思ったのだが、大事な事ほどすぐに忘れ去られるものだと最近とみに思っているからだ。
 ところでブログの文章なんかは、書いてすぐに人に見せているが、これはここで言う「作ってすぐ人に見せる」のとは全く違う。何でかといえば、ブログの文章は完成を目指して書かれるものではないから、他人に批評されても「あれは本気じゃないんですよ」と言えてしまう逃げの上に立っているからだ。「私にとってブログ文章は作品です。あまねき批評を受けて立ちます」という人もいるかもしれないが、僕がここで言うのはもっとラクなそれで、だからこんな事も書いてすぐアップできる。