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ボランティアの話

朝から晩までとはいうが、夢でも見ているから朝から朝まで仕事。しかしまだ余裕を残している。そろそろブログもストップしたほうがいいかもしれない。(何度目かの)

2/6の日経新聞の朝刊で、昨年4月から手伝っていた震災復興支援ボランティア「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の活動が紹介されたという。
写真もついている同記事はWebでも読めるが会員登録が必要で、とはいえ無料のアカウントでも閲覧できるのでお時間よろしい方はどうぞ。
http://www.nikkei.com/news/special/side/article/g=96958A96889DE1EAE7E6E3E4EBE2E2E1E2E0E0E2E3E09F9EE2E2E2E2;q=9694E0E6E2E3E0E2E3E0E4E3E6E1;p=9694E3E3E2E1E0E2E3E3E5E3E1E6;o=9694E3E3E2E1E0E2E3E3E5E3E1E1
短い文章ながら全体像が最大限紹介されているので、やはり新聞の記事ってすごいなと思った。

このボランティア組織については今月半ばに発売される代表・西條氏によるチャリティ書籍でもけっこう綿密に書かれているはずなので興味のある方はそちらもどうぞ。(ぼくのことも少し書かれている予定)

その本の帯を書いている糸井重里さんと西條さんのトークというのも今月23日に行われるらしい。
http://www.kinokuniya.co.jp/label/20120204113301.html
場所は新宿・紀伊國屋ホール。なかなかすごい。その頃ぼくは仕事からまったく手を離せないので行けないと思いますが、お時間よろしい方はどうぞ。

そしてさらに大きなチャリティ・イベントというのが3/11に行われるらしくて、これにはなんと大貫妙子さんがご出演される。
http://wallpaper.fumbaro.org/en_kizuna
はっきり言ってまったく信じられないのだが、本当だろうか。しかし嘘とは言いきれない証拠に(というか)西條さんは昨年夏に大貫さんのNHK-FMの番組にゲストで出たことがある。(というかそのほうが信じがたい)
http://www.nhk.or.jp/n-mirai/110726.html
ぼくが西條さんと知り合ったのは2006年頃で、菊地さんや大谷さんよりすこし後、後藤さんに初めて会いに行く前後ぐらいだろうか。話は面白いしルックスもいいのでいつか有名になるかもとは思っていたが、まさか大貫妙子さんのラジオに出るとは(しつこい)思わなかった。

ぼくを知る人はぼくとボランティア活動なんて結びつけづらいかもしれないが、なによりぼく自身が結びつけられていない。実際、scholaロック巻の入稿直後だった昨年4〜5月ぐらいならともかく今はほとんど何もしていないし現実的にできようはずもない。現場でがんばっている人たちがいて、それを時折眺めている。
しかしぼく自身は今なお貴重な経験をしている。これがなかったら出会わなかったであろう生活圏も指向する文化もぜんぜん違う多くのひとたちと、これまでの想像の範疇をはるかに超えた交流を続けている。今までの自分はなんて狭い世界にいたのかと感じざるをえないし、べつに狭い世界が悪いわけではないがその行き交いをとおしていろいろなことに耐性ができたような気もする。

この活動に関わるなかで感じたことや気づいた(つもりになった)ことなどについてはいつかきちんと記したいけど、いつになるかは分からない。
それでもひとつ記しておくと、この組織は「ボランティア団体」とは言いがたい。言えるが、言っても仕方がない。あえて言うなら「組み上げた論理を実験的に走らせるための運動体」みたいに考えたほうがしっくりくる。西條さんは哲学や発達心理学などを専門とする研究者なので、物の考え方とかがふつうの人とは少し変わっている。他のボランティア組織をほとんど全く知らないが、同じように運営されているところはあまりないと想像する。
ちなみにその変わった発想とかにスポットをあてた糸井重里さんとの対談がほぼ日に載っている。今それを思い出したが、ほぼ日に登場したというのもまるっきり信じがたい。
http://www.1101.com/funbaro/index.html

そのような指針とともに動くメンバーたちはボランティアだからもちろん誰も報酬はもらっておらず、あえて言えば自らの充実を(あるいは失ったなにかの補完を)求めて能動的にあれこれやっている。多くの人間が関わる以上、さまざまな問題も発生するし楽しいことばかりではないが、それでも不思議なほど前向きな空気のなか活動は継続されている。
といってもこれは彼ら組織の宣伝や単純な称揚などではない。むしろぼく自身はこの活動の大変なところをいろいろ見ているから、これに関わることを知り合いなどには勧めないし、もし参加したいと相談されたら再考を促しさえするだろう。ただ、大変でもいいからと言うならそれ以上は止めもしないというだけだ。

彼らは団体というより運動体であり、被災地支援という目的ありきで集まったひとたちだから、役割を終えれば消えるだろう。何を役割として設定するかによって今後も形態は変化していくだろう。
思うに、この活動に意義があるとすれば、それは何においても「再現性」をもたせようとしていることだ。そしてその試みは、いまだに成功していない。これまでに彼らが成した多くのことは「この組織でなければできなかったこと」であるように思われるからだ。そのことに批判が向けられることは少ないかもしれないが、ぼくの思う彼らの本当の価値は「このやり方を真似すれば誰にだって同様の成果を上げられますよ」と言えるモデルを作ろうとしている点にあり、それがうまくいったらいいねと思っている。
http://fumbaro.org/