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なぜ信頼していないひとを信じることによって、信じていたひとを信じられなくなるのか

AさんはBさんとそこそこうまくいっている。協業のチームワークも悪くない。
そこにCさんが出てきて、Aに「Bがきみのことをこんなふうに悪く言ってたよ」と言い、Bには「Aがきみをこんなにひどく言ってたぜ」と言う。
AとBは見事に憎み合い、互いを信用できない相手だと断ずるようになる。

興味深いのは、このときのCというのが、必ずしもAやBの信頼を得ているわけではないということだ。
たとえば明らかに、AにとってのBより、あるいはBにとってのAよりもCが信頼されている、ということならその現象はまだ理解できる。
しかしそうではなく、むしろCが普段からはなはだ信用しがたいやつだ、と思われていてすら、Cのそういう言葉を信じ、それまで信じていたはずの相手を信じられなくなるAやBがいる。
この理由はなんだろう?

わからない。
わかるのは、そういう現実が今この瞬間にも、21世紀の10分の1を過ぎてもなお人間のあいだで起こっているということだ。

どうして信用していなかった人間の言葉を信じたうえで、信じていた人間を信じられなくなるなんてことがあるのだろう。
偽の情報を流した人間は、その情報を運んだ「だけ」の透明人間になっている。なぜそのような現象が生じるのだろう。

理由はわからない。わかるのは、そのような現象が確かにある、ということだけだ。

僕は今まで、信頼できる情報とは信頼できる人間からもたらされるものだと思っていたが、そうではなく、信頼できる情報とは誰が運んできたものであれ、判断するものが信頼したい情報のことでしかないのではないかと思い始めている。
つまりCは本当のことを言う必要などはじめからなく、AやBが体のどこかで聞きたがっていることを言いさえすればいいということになるのではないか。