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匿名・実名問題の立て直し

周期的に、匿名か実名か、みたいな問題が現れては消えていく。

今この時点ではとくにそういった話は出ていないと思うが(あるいはもう、周期的というより常時・恒常的に、微震のように現れ続けているのかもしれないが)、以前からこれについて、ぼんやり思っていたもののまだきちんと書いたことがなかった気がしたので(もしかしたら書いたかもしれないが)、ちょっと時間ができた今のうちに書いておきたい。

一般的に、匿名による文言、投稿、表現などには価値がないというか、無責任な立場からの発言であるがゆえに、実名でリスクを負ったそれよりも下のものとして扱ってよいかのような共通認識があるように思われ、それ自体は全体像としては同意なのだけど、細かい部分ではいろいろと例外も出てくる。

たとえば、内部告発みたいなこととか、少し前だと保育園に落ちた話とか、あるいは単に王様の耳はロバの耳的なウサ晴らしのためだとしても、その目的が他人を攻撃することにはないケース(結果的には誰かに損害を負わせることがあるとしても、一義的には別の目的があるということ)もあるわけで。

逆に、実名や職場を公表しながらも普通にヘイトを繰り返す人もいるわけで、これを上記のような「必然性のある匿名(空間)」よりも価値があるとはとても言えない。

またそれとは別に、いや匿名でも、一意に特定できる立場というのもあって、これはほとんど実名と同等の価値を持つのだという言い方もあり、これはブログやTwitterの有名アカウントで、普段何をしているのかはわからないけど専門的な背景を前提に一定の信頼を得ている人とか。これはペンネームで活動している(実名を公表していない)作家や団体なども含まれるだろうか。

さてそのうえで、上記のような腑分けや問題点を含めて、いやまあ、でも結局こう考えればシンプルじゃないの、という分け方があるように前々から思っていて、それは「収入を失う可能性に結びつく情報を公表しているかどうか」ということ。

たとえば上に挙げた、ペンネームで活動する人であれば、その人の実名や年齢、性別や出身地などがわからなくても、ネット上でおかしな発言をして信頼を失えば、仕事・収入の道は断たれてしまう。そういうリスクを背負って(逆に言えば、仕事や収入を増やしうる可能性も踏まえて)そういう人はネットで発信しているわけで、だからそういう人はそれなりの「責任」を持って立っていると評価して良いと思う。

一方で、仮に実名や住所その他の個人情報をすべて公開しているような人でも、おかしな発言、攻撃的な発言等によってとくに失うものがないような立場にある人は、「実名だから」といって「責任」を負って発言しているとは言えない。

あるいはそのバリエーションとして、ヘイト発言をするほど仕事や立場を確固たるものにし、少なくともそれによって職を追われるとか、収入を断たれるような状況にはないような人も、その発言にさしたる重みはないと言える。

言い換えると、どの程度自分の命と引き換えに発言しているのかということ。

大抵の場合、「変なことを言ってもべつに失うものはない・収入も命も断たれない」という半ば無敵な人と「匿名」の人は重なるから、その意味で匿名による発言の信頼性を低く見積もることは可能だが、それだけでは時々上述のような「例外」に遭遇することもあるから、その場合にはその「どれだけ自分の収入・生命と引き換えに発信しているのか」を見れば、その人に対する態度も定めやすくなるように思っている。