もうどのぐらい前だったか、まだ1年は経っていないと思うが、以前にTwitterで以下のようなことを言ったら、*1
自分が死んだときのことを思うと、独自ドメインでブログ運営するよりも、ブログサービスで記事を公開しておいた方が長く世界に残りそうなので、ブログは独自ドメインではやらない。
tDiaryの開発者であるただただしさんから、「死ぬより先にそのブログサービスの方が終わってると思う(笑)」みたいなツッコミをもらったことがあった。*2
しかもこれはたださんだけでなく、ネットウォッチャーのおおつねさんからも同様のコメントをもらったので、「なるほど、ネットの古参の人たちはやっぱり見方が大局的だな〜」とそのときは普通に感心したのだったけど、よくよく考えると、元のツイートで言いたかったことは、そのツッコミの方向とはちょっとズレているようでもあった。
上記のたださんのツッコミというのは、たぶん今すぐの話ではなくて、たとえば今から30年後とか、どれだけ早くてもせいぜい10〜20年ぐらい先のことを想定して、ぼくで言ったらはてなブログを使っているから、「2030年頃にはもう『はてなブログ』自体なくなってるんじゃないの」みたいな意味だったと思うんだけど、ぼくが言いたかったのは「もし明日死んだとしたら、その時点から一番近い更新のタイミングでドメインが失効して、その後しばらくしたらもうそのサイトは見れなくなっちゃうんだから*3、それよりは今動いているブログサービスにデータを置いておいた方が記事が長生きするだろう」みたいなことだった。
つまり、今使っているブログサービスが、ぼくの寿命より長生きする必要はない。
そうではなく、もし死ぬ直前までブログを書いているのだとしたら、その記事は独自ドメインではないブログサービスに載せておいたいた方が、長く残るのではないか、みたいな話である。
以前にもこのブログで書いたかもしれないけど、時々興味がぶり返すのは、今後数十年のうちに、インターネットの草創期を彩った人々が鬼籍に入り始めたらどうなるのか、ということだ。
インターネットの土台は1960〜80年代頃に形作られたようだから(おぼろげな印象)、当時20代だった人ならまだ70〜80才ぐらいで、今の時点では現役で活躍していても全然おかしくないが、自然の流れとして、そういった人々から順に亡くなっていくだろう。
逆に言えば、まだ人類はそういう、インターネットが生まれてから活躍を始めた著名人たちの「死」というものをほとんど経験していない。
そして、それはやがて大きな波として、ぼくらの目の前に現れてくる。
おそらく、人々が本当の意味で「インターネット上の人間の死」を意識できるのはその頃からだろう。
身近に感じられる人、それも少なくない人々が、次々と亡くなっていく。
その波は、散発的に起きる大波のようなものではなく、水位全体が上昇しながらこちらへ向かってくる津波のように、しばらくの間は勢いを増し続けるはずだ。
すでにFacebookでは、それに類する対策が固まっているようだが、他のSNSや、ブログサービスなどでも、自分が死んだ後のデータのあり方について、ユーザー自身の希望を事前に選択させることが普通になっていくのではないだろうか。
ブログだったら、ユーザーの死後すぐに閉鎖するのか、それとも数年間残すのか、あるいは事前に決めておいたメッセージを掲示するのか、とかそういう。
選択肢によっては、前払いの有料サービスになるかもしれない。
そんなことをつらつら考えている。