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WELQとキュレーションメディアと私

最大の謎

  • 数日前のことだけど、DeNAの医療系キュレーションサイト「WELQ」が全記事非公開となり、それにあわせて同系メディアのサイト群が立て続けに非公開になった。
  • この件を通じてぼくが一番疑問に思っているのは、不確かな医療情報が量産され、しかもそれらが検索結果の上位に出てくるという状況は、正確な医療情報を切実に求める人々にとっては害悪でしかないのに、なぜそれをよくわかっているはずの南場さんが組織の中枢にいるDeNAで、そんなことが起きたのか? ということだった。今この時点においても、ぼくにとってはこれが最も大きな謎になっている。*1

否定的な共感

  • 一方で、BuzzFeedの告発記事に載っていた、「1本2000文字で1000円」という条件でそれらの記事を書いていたライターの人たちと、それらを統括する編集部とのやり取りを見て思ったのは、「自分がその場に居てもおかしくなかった」という、ゾッとするほどの身近さだった。
  • ぼくは出版社や編集プロダクションに所属した経験はないけれど、現在は雇われ編集長のような立場で、複数の書き手にテーマや諸条件(締め切り・ギャラ・留意事項)を伝えながら紙面を作っていく、ということをしているから、あのチャットワーク上に示された説明書き、あるいはライターに対する各種の具体的なノウハウ(コツ)などを見て、「うわ〜リアルだなあ……」とひしひし感じた。
  • 幸い(というか)、ぼく自身はそのような業務に携わったことはないけれど、一方で、そもそも「オリジナルな文章を書く」というのは、じつは多かれ少なかれ「かつて他人が書いた文章を土台にして、そこに自分の考えを足したり、自分と異なる考えを削除したりすること」でしかない面もあると思っている。
  • もし、「何も調べずに書けること」なんてものがあるとすれば、それは「自分のこと」ぐらいで、昨日何を食べたとか、どんなことを考えたか、ということならば、ただ思いつくままに書けばそれで正解になるけれど(読みたい人がいるかどうかは別として)、「執筆を仕事にする」とか、「依頼されて文章を書く」ということをするならば、それはすなわち「自分以外のことについて書く」ということなのであって、となれば、いかにそれが得意な分野であったとしても、つねに「自分が知らなかった情報」を調べたり、「たしかこんな話があったはずだけど詳細は覚えていない」ことなどについて確認しながら書いていく必要がある。
  • これは司馬遼太郎が書くような歴史上の人物を扱う小説とか、今放送されている「真田丸」のようなものでも同様で、彼ら執筆者は、他人が調べて書き残したことをいくつも読みながら、その中の使える情報を拾ったり、使えない情報を捨てたりしながら書いているはずだ。
  • その意味で、あのBuzzFeedの記事にあったライティングの「コツ」というのは、どんな書き手にも多かれ少なかれ関わる作業なのであって、たしかにそこには「不正か、そうでないか」という観点から見れば明らかな違いがあるかもしれないが、同時にその違いは非常にわかりづらいものでもあると思う。

擬似ライター養成講座

  • たとえば、その指南書では繰り返し「コピペは禁止」と言っていて、それ自体は誰もが賛同する方針だろう。また、「語尾や言い回しを変えるだけでもダメ」だと言っていて、これについても反対する人はいないだろう。
    • 「そういう問題でもないんだけどな」と思う人も少なくないだろうが。
  • 個人的に極めつけだと思ったのは、「事実は参考にしても良いが、表現を参考にしてはいけない」というアドバイスで、掛け軸にして飾っておきたいぐらいまっとうな指導だと思う。
    • 実際のニュアンスとしては、「事実ならパクってもバレづらいからよいが、後者はバレるからやめとけ」と読み替えるべきなのだろうが、いずれにせよこれ自体は不正の指示とは言えないということ。
    • ただし、一緒に紹介されている「書き換え例」などを見ると、元の文章にある筆者の「視点」や「発想」もそのまま使ってしまっているので、実際に行われていたのは「事実の参考」にはまったくとどまっていないとも思うが。
  • その他の告発資料を見ても、同様の編集部からライターへの事細かな指示が満ちていて、このような指示やチェックを行う編集部も、それに応じるライターも、どちらも大変な労力だなこりゃ……というのが素朴な感想だった。
  • もはや、そこで行われているのは「ライター養成講座」のようなもので、とくにライターのほうにあまり経験がない場合には、「報酬をもらいながらライティングのコツを伝授され、かつ各記事の校正までやってもらえる」という状況なわけで、これはそこそこ居心地のよいコミュニティだったのでは、という想像まで頭に浮かんでくる。

もしも自分だったら

  • それと同時に思うのは、もし自分が何かの弾みで、ライター側であれ、編集部の側であれ、その場に居たとしたら、果たしてこれらの行為の問題性に気づけただろうか? ということで、この疑問(妄想)が頭から離れない。
  • ぼく自身は職業としてのライターの経験はないけれど、それでも少ない経験上、普通ライターというのは、よほどの実績でもなければ「自分の書きたいこと」だけを書いて生計を立てるなんていうことはまず無理で、となれば、上にも書いたとおり、必ずしも詳しいとは言えないことについて、調べながら書いていかなくてはならない。
  • そして、そこでやっている行為自体を取り上げるなら、通常のライティングの依頼でも、このWELQのライティングでも、本質的なところは変わらないのではないか、という気がしている。
  • たしかに結果だけを見れば、WELQにおける書き換えは「コピペであることがバレないため」の姑息な操作だったのかもしれないが、上記のとおり、実際には通常のライティングにしても、数多の参考資料の中から一部を使い、一部を使わず、そしてそれをいくつも重ね、組み合わせていく中で文章を編み上げていく、という過程が普通にある。
  • そのような中で、もし「自分だけの(オリジナルな)意見」というものが生まれるとすれば、それはそうした地道な作業の繰り返しの末にようやくにじみ出てくるものであって、だから「どこまでが他人の文章でどこからが自分の文章か」という境界を見つけることは難しい。
  • その意味で、このWELQの一連の作業工程においても、果たしてライター自身がこの行為をどう考えていたのか、あるいは指南役のほうですら、どこまで不正性を自覚していたのか? というと、人によってはわかってやっていたかもしれないが、もしぼくだったら、とくに何も考えず粛々と作業を進めてしまっていたのではないか、と考えずにはいられない。
  • それに、仮にそうした工程や方針に違和感を覚えたとしても、その仕事の他に収入を得られるあてがなければ、簡単に断ることも難しい。上の告発記事で、そうしたあり方に疑問を感じて辞めたライターさんが出てくるけど、なかなかできることではないと感じる。

ユーザーのために

  • ではそのように、局所的には不正を自覚することが難しいかもしれない行為・作業があったのだとして、それならWELQを初めとするDeNAのキュレーションメディアに責められるべき問題はなかったのか? といえば、もちろんそんなことはなくて、結局のところ、そうやって作られた膨大な記事が、そもそも「何のために」必要だったのかという、メディアの「目的」に最大の問題があったのだと思う。
  • TechCrunch Japanによる以下の社長インタビューによれば、

まずはユーザーに喜ばれるコンテンツ作りをやっていきます。

ユーザーにとって役立つサイトになれたら再開したいと思っています。(略)ユーザーにとって役に立つ記事が出せて、ビジネスとして成り立つのであればやっていきたいと思っています。

ユーザーにとって役立つコンテンツを作り、その記事の検索順位を上げていければ、社会的にも良いことだと思っています。

  • と、今後の対応に関して、「ユーザーのために」という「目的」を何度も述べているが、少なくともこれまでの各キュレーションサイトの運営においては、そのような目的を持ってはいなかっただろう。
  • 一連の記事作成の工程を見れば、それらのプロジェクトが大切にしていたのは、「SEO上の要件を踏まえた記事を大量に作れ」という方針であり、記事の内容や質についてはどうでもいいと思っていたことがよくわかる。
  • 同時に、その事業は「記事の中身はどうでもいいが、記事がなければ成立しない」という矛盾した性質を自らに抱えたものでもあって、かつ大量の記事を作るためには一本一本に時間をかけることもできず、時間のかけられない記事の内容は薄くならざるを得ないから、必然的に「中身のない記事を量産しろ」という方針になってしまう。

食玩、あるいはそれ以上の悲しさ

  • この一連の話を通して、ぼくが思い出すのは、ロッテの「ビックリマンチョコ」である。
  • ビックリマンチョコには、ウェハースで挟まれたチョコレート菓子と、「おまけ」のビックリマンシールが入っているが、子どもたちが欲しがるのはもっぱら「おまけ」のシールの方であって、これがまた購入者の射幸心を煽ることから、一時は子どもたちが大量のそれを買い漁っては、シールだけ抜いてチョコを捨ててしまう、という行為が問題になったものだった。
  • キュレーションメディアにおける記事は、まるでこのチョコレート菓子のようだと思う。といっても、ここで購入者の「子ども」にあたるのは、記事を読むユーザーでもなければ、ライターでもなく、運営会社である。
  • 運営会社が本当に欲しいのは、記事ではなく、それを大量に公開することによって得られる「何か」である。しかし、それを得るためには記事が必要だから、望まないチョコレート菓子を一緒に購入するように、ライターに対価を支払い記事の執筆を依頼する。
  • 運営会社にとっては、その記事の中身なんてどうでもいい。それが日本語で書かれた、かつ最新のSEO対策が施された文字の集積でありさえすればいい。
  • 必然的な帰結として、書かれた記事は読まずに捨てられる。捨てると言っても、削除してしまっては検索に上がらないから、運営会社はそれをネットの海にただ流す。漂流する記事は、高い確率でユーザーに拾われるが、そのたびにナンダコレ、と捨てられる。
  • これはある意味で、食べられないまま捨てられる菓子以上に悲しい扱われ方である。

想定読者は検索エンジン

  • ぼくは上記のように、キュレーションメディアというものは、そもそもの「目的」に問題があると思っている。
  • 運営会社の目的は、「ユーザーに価値を届けること」ではない。もしユーザーに価値を届けることが目的なら、BuzzFeedの記事で元ライターが証言しているような、

「『この商品がオススメ』といった軽いテーマの記事にも、8000字を求められるようになりました。検索順位が大事なのはわかるけど、読む側の都合をまったく考えていません」

  • という事態が起きることはないだろう。
  • またもちろん、転載元の各サイトの書き手、写真家、クリエイターたちを世の中に紹介することが目的なわけでもない。本来であれば、自らソースを持たない手法の性質上、転載元の理解や協力は不可欠であるにもかかわらず、転載元への価値の還元は考慮されていない。
  • だから、このようなことも生じてくる。

www.photo-yatra.tokyo

  • 運営会社の目的は、「人間向けではない、検索エンジンに読ませるための記事を作ることによって収益を上げること」であって、それは関わる人々の人間性を軽視しても成立する。

BuzzFeedの標的は「キュレーションメディア」ではない

  • ところで、じつは一連のDeNAを告発する流れの中で大きな役割を担っているBuzzFeedはどのような運営をしているのかというと、キュレーション記事としか言いようのないものがいくつも掲載されている。
  • それぞれのライターさんに対して悪意はないし、BuzzFeedのすべての記事がこのような体裁だというわけでもないが、これらの記事を読んで思うのは、「記事の中身や読者よりも、とにかく量産することを目的に書かれたのではないか?」ということだ。
  • そのような前提をもって、あらためてBuzzFeedによる告発記事を読み直すと、BuzzFeedが問題視しているのは、どうも「キュレーションメディア」そのものではなく、「キュレーションメディアを謳っているのに実際はライターに報酬を支払って内部の方針に沿って記事を書かせていた」とか、「盗用がバレないように画策していた」といった、悪質性が明白な、具体的な論点に絞られているように見える。
  • しかし翻って、今回の問題に対する一般的な意見の多くはと言うと、これはやはり、「キュレーションメディア」全体への批判や不満であるように思う。
  • ここには、地味だけど大きな関心のズレがある。
  • 果たして、BuzzFeed自体は、「キュレーションメディア」についてどう考えているのだろう? 上のような記事を書いているライターさんは皆、転載している素材の作者の承諾を得ているのだろうか? あるいは上に紹介した写真家のように、「無断で使われた」と言われたり、感じられてしまったりしないような対策を取っているのだろうか? そうした各ライターによる転載元との連絡を、一元的に管理している機関が編集部内にあるのだろうか? 仮に転載元から苦情が寄せられた場合、BuzzFeed編集部はどのように応じるのだろうか? 「ライターがやったことだ。編集部は知らなかった」という事態にならないだろうか?
  • 個人的にはどうしても、こうしたある種の矛盾というか、ブーメラン感を感じる部分はあった。と同時に、そんなことは同編集部でも当然想定しているはずで、それでもなお、今回の一連の記事執筆、公開に踏み切ったのは評価すべきだとも思うのだけど。

キュレーションメディアの問題は、その暴力性

  • そろそろまとめに向かう。
  • 上記のように、ぼくは今あるようなキュレーションメディアのあり方はひどいものだと思う。
  • DeNAに限らず、ここ数日のうちにたまたま知ったものだけでも、サイバーエージェントのSpotlightとか、リクルートのギャザリーとか、あるいは老舗のNAVERまとめとか、ディテールはそれなりに異なるとしても、共通するのは「読みづらい」「何を言いたいのかわからない」「まともに構成されていない(まとまってない)」というようなことで、読み手によっては「そんなことないよ、読みやすいよ」という人もいるかもしれないが、ぼくとしては、「なるほど、人間が読むために作られていないから読みづらかったのか」という感想に落ち着く。
  • また、そのような記事に自分の文章や写真等を無断で転載された人がどう感じるかといえば、綺麗に言えば「リスペクトを感じられない」ということになるだろうが、もう少し直接的に言えば、いきなり暴力を振るわれたようなものだと思う。
  • それは尊厳を傷つけられるということであって、人間扱いされない、ということでもある。
  • キュレーションメディアにおいては、記事の中身は何でも構わないわけだから、無断転載をされた側としては、自分が他人の儲けのための「道具」や「モノ」として扱われたように感じるに違いないし、もしぼくがやられたら精神的な傷を被るだろう。

理想のキュレーションメディア

  • もしそれでもなお、今あるキュレーションメディアがその運営を維持したいと思うのであれば、第一に、記事の内容がまともにならなければならないと思う。
    • しかし当然のことながら、良い記事を作るには時間がかかるから、現在のような「長文」「量産」を前提とした体制では無理だろう。いろいろな前提を変える必要がある。
  • 第二に、ひき続き独自ソースではなく、様々なところから素材を転載してくる手法を用いるのであれば、それによって収益を得た運営会社から転載元に対し、収益に応じた何らかの還元を行う必要があるだろう。上に挙げた、転載元の尊厳を奪う行為を改めるには、そうした観点が欠かせない。
  • ちなみに、ぼくがキュレーションメディアと聞いて、理想的なあり方として思い浮かべるのは @yto さんによるヲハニュースである。
  • はてなブログ版もある。
  • ここでは書き手のたつをさんのアンテナに引っかかった物事を日々紹介していて、「対象」「引用」「それらに関するコメント」の区分もわかりやすい。記事の主目的は「対象の存在を紹介し、それらへの個人的見解を述べること」であり、対象サイトへのリンクも明快なので紹介先から不満を訴えられることもないだろう。
  • また、技術的な話題が主だが、@t-wadaさんによるはてなブックマークも面白い。
  • ご本人の備忘録的な側面もあるだろうけど、同時にこれを見ている読者にも、多少なり益をもたらすことを想定しながらコメントされていると感じる。
  • これらのサイト(ブックマーク)と、現在問題になっているキュレーションメディアとの違いは何か? と考えてみることは何らかのヒントに繋がるのではないだろうか。

テクニックだけでもいい

  • 途中に挙げた社長インタビューの最後で、守安社長は「今回はテクニックに頼りすぎてしまっていたのではないか」と言っていた。
  • しかしぼくの感想では、「テクニック以外に何があったのか?」と思う。
  • 独自ソースもなく、他人が公開した文章や写真を使って、誰に伝えたいわけでもない記事を量産できるだけの編集技術と、最新のSEO技術を駆使して、事業を成功させようということ以外にどんな目的があったのか? と。
  • その上で、じつはぼく自身は、「テクニックだけでいいじゃないか」とも思っている。中身のない記事と、SEO技術だけでどこまで行けるのか、見てみたい気もする。それもまた新たな人間の可能性を発見するきっかけになるかもしれない。
  • それに、極限まで突き詰めて考えれば、人間が生きる目的というのは結局、ひとまず今日・明日に食べるゴハンを確保することであって、その方法が他に何もなければ、ある程度グレーのことでもやらなければならないときもあるかもしれない、とも思う。
  • 綺麗事をいくら並べたところで、他に手段がなければどうしようもない。
  • そのゴハンを食べていくための過程において、他人の尊厳を貶めたり、キュレーションメディアだと言いながらライターに執筆依頼をしたり、検索結果の上位に質の低い記事を蔓延させたり、さらにはその中に命や健康に関わる誤った医療情報を増やしたりすることは、たしかに常識的には許されないが、他にどうしようもなかったなら仕方ないですよね、とも思うし、そんな救いのない感想とともにこの長文を終わりたい。

*1:コメント欄で参考記事を教えて頂いた。