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組織にとって最大の敵は「相談しづらい雰囲気」

組織に「相談しづらい雰囲気」が生まれると、それはじわじわと全体を腐らせていく。

同僚と良好な関係を築けていないから、自分のミスを知られたら立場が悪くなると察して、すぐに修正できたはずの間違いを誰にも相談できないまま、プロダクトが仕上がっていく。

得意先の会社などはもちろん、末端の消費者もそんな事情は知らないから、その小さなミスは、当の組織全体の評価を落とす。

人は誰もが自分を主役とした、人生というたった一度の劇中を生きているから、主役は何でも完璧に、美しく達成しなければならないという理想を持っていて、その通りにいかないと不安や恐怖や不快に包まれてしまう。

そうしたネガティブな感覚から逃れる一番手っ取り早い方法は、自分のミスを認めないことで、その具体的な方法には、忘れること、そして他人に知られないこと、などがある。

しかしミスを隠したことがバレたときのペナルティは、ミスそれ自体を凌駕することが多いから、その試みはリスキーだ。

多くの人は経験からそれを知っているから、できることなら早く打ち明けて、最小限の痛みと引き換えに、再挑戦の機会を得たいと思っている。

相談しやすい同僚や上司、つまり「仲間」がいると、そうした「ミスの自己申告」や「再挑戦権の獲得」は円滑に進みやすい。

逆に、せっかく申告してもその価値を認められなかったり、必要以上に責められたりする環境にいると、ミスを打ち明ける習慣は次第に消えて、隠蔽するリスクの方を取るようになってしまう。

たとえば上司や現場の責任者が、「いつでも相談して」などと普段から言っていても、いざミスを打ち明けられると、つい「このミスがなければラクだったのに」と思ってしまい、その気持は言葉の端々にあらわれ、申告した側が「やっぱり言わなきゃ良かった」と感じる、などということは普通にありそうだ。

かといってそのような現場では、ミスの報告が遅れれば、それはそれで「相談しろと言ったのに、なぜしなかったのだ?」などと叱られるわけで、いずれにせよ叱られるのだから、という理由で報告はさらに遅れ、「相談しづらい雰囲気」は存在感を増していく。

「相談しづらい雰囲気」を打ち消すのは、だから口で言うほど簡単ではない。

ミスの申告においては、他人同士という人生の「主役」と「主役」が、それぞれの尊厳をかけて相対しているから、必然的に「人間性の否定」と近接した繊細なやり取りが生じるし、その事態を俯瞰的な視点から把握し、冷静に対処するというのは、よほど意識的にでなければできず、疲れていたり、忙しかったりという、いわばキャパオーバーの状態でもそれを上手くこなすというのは、それなりの経験や技術を持っていないと難しい。

考えられる対策の一つとしては、責任のある立場の人ほど、周りに相談したり、自分のミスを進んで認めたりする姿勢を見せる、ということがあるかもしれない。

実際には、トップが進んで自分のミスを認めるというのは、それなりにリスクのあることだと捉えられがちだし、実際、それが成功している例をほとんど知らないけれど、ミスを隠蔽しがちな人間の心理を思えば、自分よりも上の立場の人間が、ミスを公開しながらもそれなりに成果を残し、充実して生きている姿を見ることで、ミスが露わになることそれ自体は大きな問題ではなく、むしろ状況の改善のためには必要なことですらあるのだと、そのような理解が浸透する可能性はけっして低くないと思う。