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ZDD(雑談駆動開発: Zatsudan-Driven-Development)のススメ

グループで作業をするときには様々な問題が生じうる。

たった一人で制作から販売まで完結する仕事ならばそういったものを避けられるかもしれないけれど、普通はなかなかそうならない。上司部下の関係もあれば先輩後輩、他部署との関係、他社との関係、その他社がまた立場的に上か下か、とかいろいろ。

理念としては誰もが平等だけれど現実世界ではそうもいかない。他者との関係においては喜びもあれば避けがたく不快も生じる。何しろ人の気持ちは流動的で、自分自身の考えすらコロコロ変わる。そして変わって良い。それが自然。一貫性は愚かな人間の言い訳である、と言ったのは誰だったか。(誰も言ってないかも)

ぼくは仕事を2〜4人のチームで進めることが多い。
少し前にやっていたボランティア団体ではその10倍ぐらいか。つまり20〜40人ぐらいのメンバーの一員としてあれこれやった。

『Team Geek』という本があったけど(感想も少し書いたOSSの開発でもボランティアでも仕事でも、これは共通して使えるのでは、と思える作業の進行方法があってそれが「雑談駆動開発」(Zatsudan-Driven-Development: ZDD)である。

ぼくを含む大半の普通の人は怠け者で(ということにします)放っておけば「本来優先すべきこと」よりもラクなこと、あるいはよりタノシイことをつい先にやってしてしまって、あとから大量に溜まった「優先すべきだったこと」を前にして「なんでちょっとずつでも進めておかなかったの・・?」みたいなことになる。(あるある)

そして不完全な人間同士が不完全な情報共有をせざるを得ない世界だからそんな状況を100%確実に避けることは困難かもしれないけれど、それでも決定的な失敗状況に至る前にメンバー各自が不穏な進行を気づかせ合うことが、ここで挙げる「雑談」の威力であり機能である。

以前の仕事のチームはぼくともう一人のほぼ2人体制だったけど、とくに用がなくてもお互い午前10〜11時の始業とともにSkypeを上げて、おつー、とか言い合った。その目的は「おつー、と言い合うこと」そのものであって、それを通して何をどうしたい、とかは事前に考えていない(少なくともぼくはそうだった)。
しかしそのまま「いや昨日大変でさ・・」とか言い始めると、それが何となくトリガーになって、またその後の実務がイヤというか疲れるのでなるべくそれに取り組むことを後回しにしようとして、とりあえず頭の中にあるあれこれを報告し始める。

すると、その報告の「ついで」や「そのまたついで」みたいな感じで、話し始める前にはとくに思い浮かんでいなかったあれこれの「アイデア」や「報告すべきこと」が目の前に出てきて、どんどん「ついでに」報告しあうことになる。
その結果として、ぼくらの間にはつねにその時点で知っているかぎりの情報が共有されていて、どんなアクションを取るにもすでに前提が共有されたあとの「その次」のことから即スタートできてこれは大変効率の良いチームだった。
(まあもちろん、そのチームワークにおいても少なからぬ不備はあったけれどそれはまた別の話)

さて一方で、数十人規模のボランティアグループでもこれはそれなりに有効に働いた。あ、「これ」というのはもちろん「ZDD」のことです。

ZDDの特徴は、いちいちカッコつけない、ということだ。自分が偉い人だとか、大きく見られるべきだかという前提でアクションしようとすると、その前に何度もその「これからアウトプットしようとしていること(たとえば発言)」の中身を精査することになってしまい、そのうちだんだんアウトプットじたいが面倒になり、大事なことが報告されない、共有されないまま時間が過ぎてしまう。
アウトプットじたいを商品としてゴハンを食べている人ならばそうした事前精査(チェック)も重要だろうけど、そうではなく内部での意思共有の道具でしかない情報にそんな完成度を求めていたら最終的な成果物はいつまでも出てこない。

「とりあえず」のラフな発信はあまり洗練されていないように見えて、とくにいい年になってくるとそういう若者同士の雑談みたいなことを進んでする気にはなりづらいものだけど、ぼくは積極的にこれをやった。
メリットとしては何より自分がラクだから、そしてラクであることによって活動も無理なく続けやすいから、ということがあったけど、そうした自分にもたらされる利点だけでなく、周りとしても一人そういうのがいるだけで敷居が下がるというか、「あいつがあんなバカっぽく気軽に言ってるのだから自分も輪に加わって大丈夫だろう」みたいな、活動の参加までの障壁を下げる(下げさせる)効果がそれなりにあったろうと思う。

もちろんそんなに上手くいくことばかりではなくて、たとえば雑なほうに振れすぎるのも良くないし(荒い表現が出やすくなるとか)、礼節はそれとして重要なのだけど、それでも一番の目的は「互いを良く見せ合うこと」ではないのだからそれが最優先されないように、とは思っていた。

去年のYAPCの最後のLTで「ボケて」を運営する株式会社オモロキ代表の鎌田さんが発表していた内容がこれに近いんだけど、そのエッセンスというのは「レスは短くして最後に『!』を付ける」というもので、たとえば御礼のレスが「ありがとうございます!」だけ、とか。
(実際はそういう内容じゃなかったかもしれないんだけどそういう印象をもったということ)

自分のブランドを上げようと思いながらやりとりしていると選択肢の多くがNGワードやNGアクションになってしまって、それを避けているとそもそも何をしたかったのか/言いたかったのかがわからなくなってしまう。そしてその「つい本来の目的から外れてしまった感じ」を隠蔽するためにまたさらにカッコをつけてもはや誰にもわからない理論を振りかざしたりしてしまうこともあると感じる。

そのような帰結をなるべく避けるためにも、我々は本来の目的をトップに見据えた上での「とりあえずの雑談」をもっと有効に活かしてよいのではないかと思う。

一見すると雑談というのは本来の仕事とは離れた場所にあるように見えるけど、じつはこれこそが最も仕事を迅速に進行するために必要な「取り掛かり」を誘発してもいる。雑談は全方位的な「すべて」の要素を含んでいるから(だから「雑」なのだ)、「仕事大変だ〜イヤだ〜」と思っている人にも容易に侵入してしまう。仕事を後回しにしたいと思っている人に知らず知らず仕事の要素を飲み込ませてしまっている。それはまるでハンバーグの中に内緒で混ぜ込まれたニンジンのすりおろしのようであり、またすすったお茶に混ざっていた空気中のチリやホコリのようでもある。

楽しげで「非・仕事」のようであったそれが実は「仕事」のエッセンスを抱き込んだ多彩で多面的な雑物であるからぼくらはそれらを無警戒に自らの中に入れてしまい、そのときにはすでに本来の「仕事」に取り掛かってしまっている。

少し似た話で、情報を出す側がその流量をセーブしてしまうような傾向について、そんなことをしてはダメで流量のコントロールは原則的に受け手が行うべきである、という方針もあるのだけど、それはまた別の機会に書ければ書きます。(というか前に書いたかも・・)