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かなしみを癒やす薬はなく、できることはただ、燃料が燃え尽きるまで、悲しみきることだけだ。
わかちあえる誰かと、自分がどれだけつらいのか、お互いに寄りかかるように、伝えあうのもいいだろう。
だけど、やがてそれに疲れて、ひと息ついたら、考えなくてはならない。
失ったものが大きいならそれだけ、残った者の責任は大きい。準備している暇なんていつだって、誰にだってない。

その人がいなくなったなら、今度は君が、その人にならなくちゃいけない。
そして君がいなくなったとき、誰かが君のようにならなくちゃって思うように、生きていかなきゃならない。
そうやって、繋いでいくしかない。

傷を負った。それは徐々に薄れるに違いない。でも、そんなことはどうでもいい。
痛みを引き受けたくない。痛みを最小限にするには、痛みを減らす方法がないことを受け入れるしかない。でも、そんなこともどうでもいい。

仕事をしないと。仕事と、プログラミングだ。

僕と五反田君は会うとだいたいそんな風に話をした。僕らは軽口を叩きながらかなり真剣に話しあった。それは絶え間なく冗談を必要とするくらい真剣な話だったのだ。その多くはあまり出来の良い冗談ではなかったけれど、それはとくに問題にはならなかった。とにかく冗談であればよかったのだ。それは冗談のための冗談にすぎなかった。我々は冗談という共通認識を必要としていただけだった。僕らがどれくらい真剣かというのは、我々自身にしかわからなかった。
村上春樹ダンス・ダンス・ダンス』)