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プログラミング入門的な何か

以前から折りにふれ、そういうのに挑戦しようとか、実際に少しやってみたりとかはしていたが、ちょうどひと月前の4/30で昨年からの大きな作業が一段落したので翌日の5月からよいしょっという感じであらためてスイッチを入れてみた。

具体的にはなんかしら確かな、プログラミングをやったよ、やってるよ、と言えるようなことになりたいと、そのためのことをしようと、んで入門にはRubyというのが良さそうだと、そういうようなことは前から思っており、本なども多少なり持っていたので、ではあらためてイチから・・という感じで始めてみた。

またその一環でというか、RubyではないがJavaScriptという言語を対象にしたちょっとしたネットでの添削講座があったのでそれもやってみた。というのがたぶん5月半ば? ぐらいか。一週間集中気味にやってみたがそれもまた面白かった。*1

面白かったが、同時にこれはやっぱりつらいな、とも思いはした。何しろ今年で38歳、プログラマの中には「小学生の頃からコンピュータ触ってました」みたいな人もけっして珍しくはなく、べつに環境要因にすべてを帰したいわけではないけど、何というかやはり遅すぎる感もなくはない。
なくはないが、しかしたとえば趣味でゴルフを始めようという人がそのままプロになりたいとか、あるいはとりあえずオリンピックに出てみたいとか、またあるいは定年してからギターを始めようという人がU2と世界ツアーを回りたいとか、そういうことをのたまうたぐいの無謀な理想を掲げているのでもないわけで、ようは楽しみながら、しかし同時に地味に何か、周りに影響していけるような、そういうことができたらいいよなあ、と思っている。(たぶん)

上記の添削講座でとくに感じたのは、なるほどこれは、具体的に苦しい、かなりスポーツのような、体に対してじかに働きかけてくる負担があるな、ということだった。それはプログラミングだから、それに特有の、ということではなく、たんに習慣にはなかったことを身につけようとすれば、楽器の練習であれ言語習得であれプログラミングであれ(それもまた言語習得ではあるが)、ギリギリと身を痛めつけるような作用が働くもので、それをリアルに真綿で首を締められる的に感じているということなのだと思う。結局のところ、このゆるやかな不快感にどの程度耐えていけるか、というのが、語学であれスポーツであれ楽器であれ、習得というものには関わってくるんじゃないかなとあらためて思いもするのだった。

なんというのか算数についていけない感じ、跳び箱を飛べない感じ、そういうずっと忘れていた感覚が体にまつわりついてくる。

一方でしかし、たとえば文字起こしをしたり、長文の意味を変えずに10分の1に圧縮したり、あるいは何百という注釈を作ったり永遠にも思える月日を有限の年表に記したりとかいう、そういうことは大変であっても不快というのではないわけで、問題は苦しいかどうかというより、その苦しさに存外耐えられるのか、それとも1秒たりとも継続できないのか、その間のパラメータ、グラデーションのどこにいるのかということに過ぎないようにも思われる。
もしも本当にそれを習得したいのであれば、なんど倒されても立ち上がっていくような、そういうある種の「鈍感さ」みたいなものがこれに対して備わっていればいいような、あるいは備わっていないならば備えればいいような、そんなふうに今は思っている。

*1:思いがけず全問なんとかクリアした。これについては別途書きたい