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やり方については言わなくてヨシ

方法論というか、心構えとかやり方についての本が多すぎる今日この頃、「〜術」みたいなのはもう時間がもったいないからやめよう、と思っている。なにしろそういうハック(その場しのぎ)的な話が大好きだが、それは何というか、まさにその場だけのものだ本質的には。その瞬間は気持ちいいが、それだけだ。うまく継続性に結びつけるひともあるだろうが、相応の能動性を別途持っている人だからできることだろう。方法論は面白い。そこには責任がないから。ファンタジーを味わい、頭の中でだけ思い描いているのと同じだ。失敗しても大丈夫。だってシミュレーション(想像)しているだけだから。
実際の仕事においては、ただ物語を読んでうっとりするようにはやっていられない。一秒をあらそうし、正解か失敗かの反応もすぐに出てくる。筋の通らない結論を飲み込まされることも少なくない。ようやく踏ん切りがつき体当たりをして、しかしあっけなくはいダメ〜と突き倒されると、うんざりするのと恐怖を知るのとで二度とそっちには行きたくなくなるが、逃げれば次はない。仕方がないからまた体当たりしに行く。「様子見」してるひまはナイ。様子見している周りの人間に足を引っ張られすらする。地引網をひとりで引くように、こっちだぞ!とズリズリひきずって進む。あの〜そっちに行くとまた殴られますよぉ、なんてノンキで底知れぬ無自覚な悪意に彩られた声が聞こえてくるけどほかに道はない。やるか、やめるかだ。面白い思いをしたい。新しい景色をみたい。だったら進むしかない。やることは分かっている。それを、やらないか、やるかだ。だから、方法については教えなくてヨシ。近道も心構えも不要。誰も転び方は教えてくれない。どこに落とし穴があるかを教える本は多いが、落とし穴にどんどん落ちていくことでしか本当はひとは前には進めないんじゃないか。最大の失敗というものがあるとすれば、それは失敗をしなかった人生ではないか。トライ&エラー&トライ&エラー&トライ&・・つて、エラーが好きなわけではまったくないがトライだけができることでありエラーの回避は幾多の結果のあらわれのひとつに過ぎない。お〜いそっち行くと落ちるぞぉ!とかうるさいよ!!とおもう。ひとの話をよく聞くことは、大切なことですが・・
失敗をすることがなにしろ重要だ。たぶん。不安定でいい。そこから安定への進行にのっかりグンと振れる運動を味わえたらきっと楽しいのじゃないか。失敗の機会を奪ってはいけない。学ぶチャンスを奪っては。そこからしか学べないものがある。痛くてこわくて、いやだけど仕方がない。