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かけるいくつか

人間は誰もがそれぞれ、×3とか×214とか、かけ算における「かけるいくつか」を持っているというのが数年前からのぼんやりとした僕の見方だ。ものすごい実行力と想像力をもったひとは、わずかな資源を大きなゲイン、というか結果に結びつける。
これを式にすると、

資源×人間力=結果

ということになる。ここでいう「×人間力」というのが冒頭の「かけるいくつか」ということになる。
人間力、というとあまりにもうさんくさいがここだけの言葉なのでよしとしたい。しかし問題にしたいのはその「×人間力」とか「かけるいくつか」というときの「人間力」だったり「いくつか」だったりとして言われるそれの実数というか数値である。求められるものは、というかぼくらがひとのどこを見るべきかといって見るべきなのはその数値であるべきだ。
上記の「資源×人間力=結果」をさらに簡潔に

A×B=C

ということにすると、求められるべきはBだ、と言っていることになるが、実際にはどうもAとC、とりわけCが目に付きやすいし問題/話題にもされやすいと思う。対象となるあるひとが現在どういう地位にあるか、というのを見るのはつまりCを見ているのと同じだ。
あるいは誰かに投資をするといって、いくら投資をするかというのがAの問題になる。大きなリターンをもとめるなら、Bの数値をじっくり精査するべきだが、ひとは往々にして貴重なAを、誰がどれだけ大きなCをもっているか、という基準よって決めているように思われる。
Cはたしかに、かつて対象である彼や彼女が大きなAまたはBをもとに生み出した結果であるとは言えるし、そこから彼や彼女が大きなBをもっているであろう、と類推することも可能ではある。しかし、現在Cの大きな誰かがじつはもう成長を果たしていない、言いかえるならかつては大きかったかもしれないBが現在はかなり小さい、場合によっては1以下の数値であるという可能性もまた少なくはないのではないかと思われる。どれだけ資源を費やしてもそれが増えるどころか維持すらできず食いつぶされていくだけ、という状況がそれにあたる。
それとは逆に、せめて生き繋ぐための最低限のAだけでもあれば、巨大なBによって少なからぬCを生み出せるひとというのもいるとは想像され、もし巨大なAをその彼や彼女に投資できたらどんだけ効率的だろう、ということをよく思う。つまりこれは架空の話ではなくて現実として。
ぼくはだから、つねにBの値がどれだけか、ということを見ていたいと思う。それも、「いま」のそのひとのBがどれだけあるのか、ということを。もし、あるひとがいま巨大なCをもっていたとしても、そのひとのいまのBがしょぼかったらなけなしのAを投資してもはかなく消えていくだけだ。かぎられたAであってもBがまともならばきちんと生かされるはずであり、だからひとを見るときにはBをみなくてはならない。Bの少ない人を悪く言うのではなく、Cでひとを判断するひとを牽制する意味で・・