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どれだけやっても作業減らないうえに増えてすらいるし誰からも早くヤレ以外のことを言われないのでうつになりそうというかなってる気すらする。しかしいったい、なんでこんなことに。まる一日の休みなんて少なくとも年明けてから一度もないし言ってもせんない他のこともまだ。何が悪いって、責任をよそへ見つけるのはカンタンすぎる。自分のせいにするのもまた。たんに、考えることをしてないって気がする。私が諦めるのが早いのだ。もっと考えて良い。もっともっと考えるべきだ。どうしたら納期に遅れずに済む? これ以上ないってぐらい俺は考えただろうか? パターン化の良さもある。しかしだが、新たにつねに考えてもいていいはずだ。なにせblogもまだ書いてる。そうか、blogをまた休めばいいのか、そうかもしれない。いや、だから、本当にこれ以上毎時間作業をし続けることが「あたりまえ」なのか? よくわからない。blog(というかこれ)やめてまでやるべきか? まあお客さん、後世の人たちや今いる人たち、の事を考えたら精一杯、と思うけど、それって俺のたのしみと両立できないものかね。よくわからないんだが、どうしたらいいんだ。毎時間休まずに手と頭を動かしてメールして電話して、それでも俺はほとんど無能のようだ。誰かから見れば、「どうしてあんな簡単なことができないのかね」ということをできないままであるようだ。それ自体は事実なんだがそもそもそれで困るのは俺自身だけで十分なはずがどうして周りへの迷惑になるのか、どこにその誤りの要因があるのか。僕にはわからない。おそらく、何もしていないと思われているのだろう。(それを被害妄想というのだろう。)走れば走るほど(今日も何件も片づけた)、もっと走れ!と要求は高くなり、スピードを上げるほど、もっと速く!と基準速度は上がり、こんなに走った!と思えば、まだまだあるんだよ!と残りの距離が伸びていく。ずっと関わっていた鬼門的な企画Aをひたすらがまんし作り続けてようやく終わった!終わった!!終わった!!!と思っても「まだ企画BもCもあるでしょう、終わった、じゃないでしょう」とAについてはなかったことだ。そんなことは、俺がAをやり遂げるなんてことは全く大したことでも意外なことでもなく「できてあたりまえ」のことなのだ。そこでようやくマイナスからゼロに至ったとでもいうような。ついに手にした大きなリンゴは一瞬で手元から失われ、また巨大な新たな空白としての「重たさ」が上からのしかかる。果たして、本当に俺がここまでしなくてはならないのだろうか?メンバーは、誰もがこれを同様のかたちで、俺のとなりや、すぐそばで行なっているのだろうか?この重たさを僕たちは、可能なかぎり等しくになっているのだろうか?(そんな必要も意味もないのかもしれない。)俺のさばいたひとつひとつは、ある効果として、お客さんの元へ届く物に表れていくのだろうか?これをいつまで続けられるのか、数秒先すら見えないままだ。プールで何度もターンして、もうこれまで何キロ泳いだのかがわからない。(周りから見ていればわかる。)距離は足りてるのか、いないのか、スピードは上がっているのか、落ちているのか、水が鼻と口と耳から入りこんで外の音もよく聞こえずゴーグルの向こうも見えないし何より手にも足にも粘り気のある波が絡みついてうまく動かないというのはほとんど比喩じゃないのだから。