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なんだかんだで今日もおれにしてはだいぶ仕事した。いつもそうだが最近ほんとキツいからだ。
理由は具体的にいくつか考えられ、珍しく来客があった際、知人が絶句し「こんな体勢でいつも書いてるのww」というぐらいの体勢、というか作業環境にやや難アリ升。それで一念発起して若干デスク周りを整理したという訳。しかし変更後まだ数日ということで変化は一向に見られない。むしろどんどん落ち込んでいくほどのからだ重さ、神よ
タスク整理というかロギングというか、いかにそういうことをせずにラクかつ正確にコトを進められるか、言葉にしないように考えている。言葉にすることでワクを生むがそれがどんどん小さくなることを怖れている。と言うことでまたそれは小さくなるが、場合によっては言葉によって再現性や予測する機能などが高まるのだろうか。言葉にしないことがなるべく肝要だ。なるべく肝要の意味がわからない。明日は投げ銭ライブだなあ、なんかえらい大変そうじゃないですか、いいですか、僕は人が集まるところはもともとあまり好きではないのです。誰も注目していない素晴らしいものを、涼しい廃墟で味わうのが好きなのです。他の誰より得たい何かなどなく、一緒に盛り上がりたい!とは思うけど同じ物を好きだね!と盛り上がることをしたいと思うとき、僕の好きなものは「他の誰もとくに好きではないもの」であることを考えればもうこの世の出来事ではないね。私が好きなものは誰もが好きなものだと私は思うが、私は誰かとそれを好きだと言い合いたいと思いながら誰もそれに関心がない様子を好きだとも思っているからその願いはいつまでもかなわないね。誰もいない天井の高い工場でインダストリアルなエレクトロが響くのをひとりで聴いており、朝から何もたべていないから苦しくもからだが軽い。風が吹き抜けてそれは私だけの場所でそういうところで聴く音楽を聴いて私は生きていて良いのですね、と確認することをしたいのだけど明日の渋谷でそういうことは可能でしょうか? まあ、可能かもしれない。多くの他人と一緒に音楽を聴いて深くそういう気分になることはあるかもしれない。