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1) ティム・オブライエンの『失踪』を。ティムさんといえば、その多くの作品をハルキ先生が訳していることでも知られているけど、この本は冴えないタイトルが示すとおりハルキ先生の訳書ではない。と言って、本訳者である坂口緑さんを悪く言うのではなくて、むしろもの凄い大仕事を成し遂げられたなこの方は、と思いつつ今終盤を読んでいます。すごくすごく面白い。
 とはいえ、読み始めの頃は、タイトルもそうなのだがいちいち使用される言い回しや言葉にひっかかってしまって、しつこいけどこのタイトルでは余りに「商業用消費用お手軽ミステリ系書籍」との誤解を呼びやすいのではないだろうか。少なくとも僕は、これがあの話題の『イン・ザ・レイク・オブ・ウッド』の訳書だなんてことには、しばらく気付きもしなかったのだから。
 あるいは、そういった「簡単に最後まで読める、クスリのようにサラッと服用できて効果もてきめん!」な本を読むのが好きな人にも手にとって欲しい、という狙いがあったというならそれも一理あるのかもしれないけれど(かく言う僕も、実はそのような効用を求めて、且つ簡単に読み切れるだろうとも思いつつ手にとったわけなのだけど)、それでも尚、ちょっと哀しい気がしてしまう。『失踪』て、これじゃ海外ミステリ・シリーズみたいじゃないか本当に。いや、海外ミステリ・シリーズを読んだことはないけれど、そしてそこにどれだけの違いがあるのかもわからないけれど、でも何と言うかこういうのってもしかして、いわゆる「やつして」いるって言うのじゃないか。
 しかしながらそれが悪いともまた言い切れなくて、その違いについて(あるいは違わない点について)概説してみるのもなかなか有意義なことかもしれない。ともあれこの製本の感じっていうのは、これまでのオブライエン作品の系譜を見たうえではちょっと首を傾げざるを得ないのです。
2) 内容について、あらすじなしで言うと(というか、時々思いっきりあらすじだけ羅列して紹介終わりってブログがあるけれども、それって一体どういう意味があってやってるのだろうか。純然たるアフィリァーなのだろうか。であったとしても尚、百害あって一理なしとはまさにそのことではないのか。というか、逆に”あらすじ紹介専門サイト”とか銘打ってくれたらまだ吉とかは思うのだけど本当に)、ティムさんはどうしてもベトナム戦争のことを書かないわけにはいかない。それは、保坂和志さんが猫について書かざるを得ないのと似ている(と思う)。恋愛小説や歴史小説があるように猫小説があってもいいだろ、というのが保坂さんの(たしか)言い分で、同様にティムさんはベ戦という状況を通してでなければ小説という出口を通ることが出来ない。そして実際、ベ戦の情景を描きながらも結局書いているのは戦争でも軍人でもなくてただの小説、つまりは僕らの住むこの世界に起こりうるいくつかの出来事で、だから少なくとも僕は、戦争へ行った事もなければ猫を飼ったこともないままに、保坂さんやティムさんの小説世界へ没入することが出来る。
 といった情況を踏まえつつ、僕は今、おそらくこれまで読んだどのティム・オブライエン作品よりも(その多くはハルキ訳であったわけだけど)、没入してこれを読んでいます。