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0529日記 画像ナシ

1) ミクシィでのクローズド日記を一旦お休みしたので、今ミクシィで「あ、日記書いてるな」と思って飛んできて下さった方はここへ来てしまったことに一瞬驚いているかもしれませんが、そうしたのにはいろいろと理由があって、わかりやすい事から言うと、とにかく講義録があるからなのです。

2) 講義録というのは一体どういうきっかけでかつては始めたものだったのか、本当はよく憶えているけれど「もう忘れちゃったなあ・・・」と言ってみたいぐらい昔に書き始めたもので、それがどんな風(カゼ)に乗ったのか快著『東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・歴史編』の末席にまで流れ着いてしまったものだから不思議なものです。
 しかしながら本年の1月20日の前年度分最終講義を終えて以来は採録作業をほとんどやっておらず、というか実はその後快著の後書き対談の聞き起こしをやったりはしたのでしたが、講義録の採録というのはやはりしていなくて、何を言いたいのかというとなかなか進まないんです。

3) それでもガツンと集中するほかにはそれを乗り切る手立ては「ひとつも」なくて、だからそうする積もりではいるのですが、やっぱりほったらかしてこんな徒然を書いてしまうという。

4) というかそもそも今日のこの日記を書き始めたのも最初は「どうしてクローズド日記をお休みしたか」ということを呟こうと思ったからなのでしたが、そしてそれもその理由のひとつではあると言えるのですが、Web日記というのはどうしても書くことの焦点が定まらない。というか定まらないことがやる側としては面白いということが(僕には)あって、でもそれが自分にとって面白い内容に結果として結び付いていくことがあるのかというとそうでもないので、そうするとクローズド日記で果たしうる「濃い」内容などというものはWeb日記という体裁においてはすなわちその性質からして(僕には)無理、ということになってしまって、それで止めてみたのでした。

5) Web上の日記の利点はそのスピード感でありスピードそのものの放つ愉快さであると僕は思っていて、実際その利点のままに利用してきたのですが、それは同時に推敲の出来なさを抱えこんでもいて、これは投げるわけでも何でもなくてただ事実として、僕のWeb日記は「書き散らし」なので、「それって必要なのか、自分を含めた誰かに?」というお定まりの帰結へと至るわけです。
 ミクシィ日記をお休みするのはその流れの一環ではあるのですが、もう一度何を言いたいのかを問い直すと、「王様の耳はーー!」と叫ぶレクリエーションとして以外の性質・目的を持った文章というのは、今後はなるべくWeb公開はしないようにしよー、という所信表明なのでした。

6) といってもそれで今後の更新率や文章量にどれだけの変化があるのかと言ったら、そんなに変わらない気がする、というのもかなり信憑性を持ってあったりします。考えてみればこれまでのここでの日記の殆どは、気持をほぐすためにマッサージ的に進めてきたものばかりであったようにも思いますし。というか、それ以外の目的で何か書いたことってあったっけ・・・?
 といった感じで。