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松山に行ってきた(2)〜 RubyKaigi 2025 後編・柳井町 前編

前回の話はこちら。

note103.hatenablog.com

2025/04/18 Fri

RubyKaigi最終日

RubyKaigi in 松山。あっという間の3日間だった。最終日に見た発表は以下。

最初のやつは毎年恒例のプログラム「Ruby Committers and the World」。普段は世界中にいるRubyコミッタたちが、一堂に会して公開でディスカッションをするというもの。毎回なんの話をしてるのかわかんない上に、英語だから余計にわからない。しかし、だから憧れる。ひたすら圧倒される60分。

ステージ上に居並ぶRubyコミッタたち。ステージ後方には大きなスクリーンがあり、発言中のコミッタが大写しにされている。ステージ上手には進行役のコミッタが立っている。その他のコミッタは全員椅子に着席している。
Ruby Committers and the World

youtu.be

2つめと3つめは今通っているプログラミングスクール「フィヨルドブートキャンプ」の講師というのか、メンターというのか、ようは私に教えてくれる人たちの発表。

Porting PicoRuby to Another Microcontroller: ESP32

4つめの @segiddins さんの発表は内容的にはほとんど理解できなかったけど、ところどころでシニカルなジョークが出ているようでそのノリに好感を持った。

rubykaigi.org

ステージ上手にSamuel Giddinsさん。バックにスクリーン。スライドを写している。
@segiddins さん

最後はRubyのパパことまつもとゆきひろさんによるクロージング・キーノート。真っ暗なステージの真ん中にスポットライト。そこへ徐々にせり上がってくる舞台。よく見るとまつもとさんが立っている、という演出。

youtu.be

1500人超のお客さんは壮絶にウケていた。その後のトークはいつものように、誰でも理解できる言葉で、射程の広い、具体的な話が展開されるというもの。詳しくは動画をどうぞ。

クロージング

最後はオーガナイザー、松田さんによるクロージング。今年の成果をいろいろ紹介して、次回2026年の開催地を発表。

来年は・・北海道、函館!

ということで、次回は北海道の函館。今年と同様に4月後半に行われるようだった。北海道、20歳ぐらいのときにRISING SUN ROCK FESTIVALの第1回に行って以来だな。

大団円

このようにして、3日間のRubyKaigiは終わった。今、これを書いているのはそれからちょうど2ヶ月が経った6月半ばだけど、ほとんどなんにも覚えてない。熱に浮かされたような日々。過ぎてしまえば、何も残らない。でも、それでいい。また来年だ。

3日目の夕食

すべて終わって、会場を出る前に出口付近で知り合いを探そうかなと思ったけど、やめた。ここに来た人たちとは、もう十分に会った。

外に出て、最寄りの「南町」駅を素通りして、歩いて大街道(おおかいどう)に向かった。この日はぜったいに行くと決めていた店があった。その名も「かめそば じゅん」。

kamesoba.jp

かめそばについては前回も紹介したテレビ愛媛のYouTubeチャンネル「愛媛めし」で見ていた。

www.youtube.com

この動画を見れば、味以外のことは大体わかる。というか、もの凄い充実度。

店は大街道の脇の歓楽・風俗街に包含されているので、そこまで行くだけでもけっこう勇気がいる。

「世界に類を見ない焼きそばであって焼きそばでない まるで別物 か め そ ば」と書かれている。
店の前に置かれたメニュー

ガラガラと戸を開けると、まだ19時前というのにけっこう客が入っている。カウンターに着席して、メニューをじっくり眺めてから「生ビール・かめそば・おでん3品・豆腐おでんハーフ」のセットを注文した。2,000円。

生ビールと書いてあるけど、その代わりに同店特製の「健康ドリンク」を注文しても良いようだった。健康ドリンクとは? どうやら梅酒の方式でさまざまな果物等を漬け込んだお酒のようだった。「風味を楽しむのならロックまたは水割りがお薦め 炭酸はあまりお薦めしておりません」とも書かれている。(強調・赤字はメニューのまま)

よくわからないが、ここでしか飲めないようだったので果敢に健康ドリンクの「山桃」を頼んだ。水割りで。女将さんが目の前で作ってくれて、ひと口飲んでみたら梅酒のような感じで、ぜんぜん恐れるようなものではなかった。

おでんは「お任せ」と書いてあったが、女将さんから「何にします?」と聞かれたので、コンニャク・大根・がんもどきを注文すると豆腐おでん(「ハーフ」と書かれているけどデカい)とほぼ同時に出てきた。その直後、こちらも思ったより早く「かめそば」が出てきた。これは大将が奥の「かめそば専用調理場」みたいなところから直々に運んできてくれる。

左から豆腐おでん(ハーフ)、おでん3種盛り、かめそば。
左から豆腐おでん(ハーフ)、おでん3種盛り、かめそば

初めて見る「かめそば」の印象は、「削り節とじゃこの存在感、すごいな」だった。しかし実際に食べてみると、それほど削り節とかの主張は強くない。というか、そばの主張が強いので両者が拮抗している。とにかくそばの歯応えがすごい。それはスジばかりの肉のような噛み切れないという意味での歯応えではなくて、こんなにコシのある麺類、他にあるか? みたいな感じ。そしてたしかに、(メニューにも書いてあるけど)酒のツマミにちょうどいい。

追加で生ビールを注文したら、アサヒ? キリン? と聞かれたのでアサヒを。生ビールも大将の担当のようで、奥のかめそば専用厨房から出てきてビールを注いで持ってきてくれた。千葉から来たんですよと言ったら、「千葉から来てくれるお客さん、いらっしゃいますよ」という。「自分でもかめそば作ってみる言うてチャレンジしてるみたいですけど、あんまりうまくいかんみたいですな」とニコニコしながらまた奥へ戻っていった。

本当はもう少し飲み食いするつもりだったけど、次から次へと新しい客が入ってきて、奥には団体もいるのにご夫婦の2オペでなかなか大変そうだったのでここで退散。2,550円。そのまま宿に戻って、早く寝た。

2025/04/19 Sat

喉が痛い

前日はかめそばで飲んだ健康ドリンクと生ビールだけ、食事もヘルシーだったから、朝はさぞかしスッキリしているだろう・・と思ったが、喉が痛かった。というか、熱かった。私の体調は悪かった。

じつはクロージングのキーノートを聞いている頃から、喉の奥から鼻にかけて何とも言えない腫れを感じていた。風邪のひき始めに感じるようなやつ。それが朝になっても治まらず、むしろ増してきたようだった。幸い頭痛も発熱も鼻水もないから、あまり深刻なものではなさそうだけど、もちろん気分は暗かった。とりあえず持参したトローチで誤魔化してみるものの、何かしら根本的な対応が必要なようだった。

考えられるオプションは、「風邪薬を買いに行く」か「病院に行く」の二択だった。普段なら市販薬で様子を見るところだが、ここは遥か旅の空。しかも、日程はまだようやく折り返し地点を迎えるところだった。この先まだ4日間、この松山で過ごすというのに、この不調が今後も続くなんて、控えめに言っても最悪だ。そもそも感染症とかだったら飲食店に入るのもばかられるし。

さらに言えば、今日は土曜日だから、このまま放置して悪化したら明日は病院自体が開いてない。ということは、病院に行くなら今日しかない。「ああもう!」と言いたくなる。もはや選択肢は「旅先で病院」一択だった。

旅先で病院

とりあえず、Googleマップで近場の内科やクリニックを検索した。やはり土曜という時点ですでにキツイというか、通常土曜の病院は休診ないし午前だけなので、選択肢が限られている。しかもRubyKaigiが昨日で終わって、今日からはプライベートの旅行になるから、私はその数時間後にはホテルをチェックアウトしなければならなかった。ということは必然的に、次のホテルに荷物も移動しなければならなかった。なんというハードモード。

なにはともあれ、病院探しが優先だった。ひとまず滞在中のホテルから歩いて行ける範囲の病院、かつ口コミが程よいところをいくつかピックアップして、その中から最終的に2つに絞り込んだ。片方は13時まで、もう片方の病院は15時まで開いていたので、15時までやってる方にした。患者からすれば遅くまで開いている方が助かるわけで、そのような診療体制にしてくれている方が患者に寄り添った病院なのではないか、と思ったのだった。

荷物一式をまとめてチェックアウトしつつ、大きい荷物はそのままフロントでもう少し預かっておいてもらうよう頼んだ。というのも、たまたま愛媛に来る直前に、以下のYouTubeで「ホテルはチェックイン・チェックアウトの当日なら荷物を預かってくれる」という豆知識を得ていたのだ。(1個目のTIPS。1:00辺り)

www.youtube.com

これ、知らなかったらこの後大変なことになるところだった。関西弁CA Ryucrewさん、ありがとう。

簡単な手荷物だけを持って、あらためてさっきチェックした病院へ向かう。15分ほど歩いたところに、そのレトロで可愛らしい病院はあった。中に入ると比較的空いていて、すぐに看護師さんからの問診。いつから、どんな症状かと聞かれるままに話したら、奥から先生が颯爽と登場して、「念のため検査しておきましょうか」と言われ、流れるようにコロナ・インフルの抗原検査へ。

ほどなくして結果が出て、陰性。あらためて喉を診てもらって、「扁桃腺の腫れとかはないから」と、トローチや痛み止めなどをもらい、喉のケアの仕方などを教えてもらった。考えられるかぎり、最も良い結果だった。市販薬で様子見とかしなくてよかった。先生も看護師さんも薬剤師さんも親切で、「いま旅行中なんです」と言ったら、「不安になったらいつでも電話していいから」と先生が言った。泣くかと思った。

銀天街商店街

ホッとしたらお腹が減ってきた。次のホテルは銀天街を抜けたところ(松山市駅のすぐそば)にあったので、その場所を確認がてら、買い食いできそうな店を探して銀天街をブラブラ歩いた。いかにも昔ながらのパン屋さんがあったので、クリームパンとお好み焼きパンというのを買った。パンを選んでるとき、常連らしいお客さんと店員さんの会話が聞こえた。
 
店員「このパン、値段がおかしぃんよ。普通、70円のパンが2つなら140円やろ? でもこれ、2個セットで170円なんよ」
お客「そりゃおかしいなぁ……」
店員「やろ? でもこっちで勝手に直してええんかわからんけん、そのままにしとるんよ」
 
お金を払うときに、観光で来たのだとその店員さんに言ったら、伊予灘の方に行ってみたらええよ、海が綺麗やし、魚もおいしいから、と教えてもらった。しかし後からGoogleマップで検索しても、それがどの辺のことで、どのように行けばいいのかもわからなかった。

パン屋を出て、近くのドトールでアイスカフェラテを買った。そして商店街の途中に置かれていたベンチで遅めの朝食にした。ベンチを置いている商店街は、人々が本当に何を望んでいるのかをちゃんとわかってる。沖縄の国際通りの商店街にすらそのようなベンチはほとんどなかった。銀天街、いつまでもそこにいたかった。

落ち着いたところで元のホテルに戻り、重い荷物をピックアップして新しいホテルまで運んだ。歩いて15分ほど。チェックインまではまだしばらく時間があったから、荷物を預けてまた散策の続き。さっきの病院の近くに、なんだかすごく気になるポスターがあったのだ。

柳井町商店街

ポスターが掲示されていたのは、柳井町商店街というところだった。大街道から少し南に下ったところにある。あらためて眺めてみると、そのイベントは5/3と5/4に開催されるようだった。若い人、頑張ってるなあと完全に中年の目線で感心してしまった。

マサラタウン@柳井町商店街
マサラタウン@柳井町商店街

ふと辺りを見回すと、オシャレなコーヒーハウスみたいのとか、古着屋とかがあちこちにある。そしてこの辺、なんか知ってる気がするな・・と思った。たぶんあれだ、「愛媛めし」で見たやつ。

youtu.be

このとき私が立っていたのは、その動画の14:25頃から出てくるケバブ屋さんと古着屋さんがある辺り。その場でスマホのYouTubeを立ち上げて、あらためてその動画を見直してもまだよくわからないぐらいわかりづらいところにその店はあった。ようやく「あ、ここか」と入口を見つけて、じゃあ行ってみるか! と思うのと同時に、いやちょっと待て、と何かが自分を押しとどめた。

まだパンを少し食べただけだから、ケバブを食べるにはちょうど良い。時間の空き方もぴったりだ。しかし、向かう先はまごうことなき若者文化で、あんまりにもアウェイだった。自分の半分ぐらいの年頃の彼らと、いったい何を話したらいいのか? とかなりびびっていた。誰も私を歓迎などしないのではないか? そんな臆病風がビュンビュン体に吹きつけてきて、動けなくなってしまった。

しばらくじっくり考えて、自分には選択肢が二つしかないと思った。進むか、もっと進むかだ。仕方ない。他にやりようがない。私は店に通じる暗い路地に入っていった。

実際はもっと暗い

REMY KITCHEN と MYCLO

路地を抜けると、動画で見たとおりの小さなケバブ屋「REMY KITCHEN」があり、年若い店主がカウンターに座っていた。上の古着屋さんはやってますか? と聞いたらやってますよ、と教えてくれたので、御礼を言って2階へ上がった。

なぜ先に古着屋に行くのか? 服が欲しかったんだっけ? いや、欲しかったわけではない。ほんの数分前まで服のことなんて微塵も考えていなかった。そもそも古着屋なんてまったく馴染みがないし、先述のとおりそういう若者文化には恐怖感すらある。それでもなぜ初めに古着屋に行こうと思ったのかといったら、それはもうあらかじめ定められたことだと思ったからだ。いや、スピリチュアルな意味ではない。神様がそう思し召しくださったとかいうことではなく、単に「たまたま『愛媛めし』で見たから」と言ってもいいのだけど、それはそれでちょっとずれるからこんなまどろっこしい説明をしている。

ここで私が事前にまったく考えてもいなかった古着屋さんにまず行こうと思ったのは、「その店を以前に動画で見ていたから」であり、同時に、「これまでの自分からはかけ離れた場所だから」でもあった。つまり、既知と未知が半々ぐらいの場所。こういう事態に遭遇したとき、私はこれが「用意された偶然」だと感じる。あるいは「未知の必然」と言ってもいい。ああ、やはりスピリチュアルっぽいかもしれないが、このように未知で、その後の展開がまったく読めない場所でありながら、何かひとつでも自分とのつながりが感じられるところであれば(たまたま以前にYouTubeで見たとか)、それは偶然を装った必然なのではないか? と思えてくるのである。

で、どうせ行くならまずは最も自分からかけ離れた古着屋の方から行こうと思ったのだった。どんどん未知の領域へ踏み込みながら、このまま行っていいのか、引き返すなら今だぞ、とまた自分が自分に言う。しかしその声を聞きながらも、足はズンズン先へ進んでいる。廊下の突き当たりにうっすら明かりが見えて、あれかなと思ったら入口がフワッと開いて、古着屋の主人が迎えてくれた。

古着屋「MYCLO」の主人はのんさんと言って、自分より20は若いと思うが、それを感じさせないおおらかさ。YouTubeで見たんですよと伝えたら、「あったあった」とその取材が来たときのことを思い出されて、しばらくおしゃべり。動画でも話していたけど、大の古着好きで、それが高じてお店になってしまったという。気楽に着れるTシャツがほしいと言ったら、奥から手頃なものを探してきてくれた。その後もいろんな服の値段、その背景など解説してくれて、何を聞いても新鮮だった。

買った服を持って、ケバブ屋さんへ降りていった。お酒も置いていたからカシスソーダとケバブサンドを注文した。ケバブは甘口&辛口のミックスソース。YouTubeで見たんですよ、とここでも話しながらちょっと店の脇を覗くと、中庭みたいな、その建物全体の共有スペースがある。椅子も置いてあって、すでに若者の先客が何人かいたけど、居心地が良さそうだったから混ぜてもらうことにした。

カシスソーダ

外で食べるケバブサンドは肉が香ばしくておいしかった。カシスソーダもしっかり酔った。中庭の先客たちはケバブ屋の店主(ヤマトさんと言った)とも古着屋ののんさんとも顔馴染みのようで、皆20代前半、というか10代の人もいた。思い思いに飲み食いしながら、彼らがバイト先の話をしているのをぼんやり聞いた。後からヤマトさんとのんさんも合流してきて、その小さな中庭で、やわらかい日差しを浴びながら、何も起こらない時間を過ごした。音楽なんかかかってないのに、ずっと音楽を聴いているようだった。

今日の予定は? とヤマトさんが聞くので何もないと言ったら、「じゃあ飲み行きましょうよ」と言う。いいですね、とLINEを交換しながら、のんさんは? と聞いたら今日はライブのリハがあるから駄目なんだという。ライブって? と聞いたらのんさんは古着屋の他に音楽もやっていて、深夜に近くのクラブで行われるイベントに出演するのだという。しかも今夜はスペシャルゲストでラッパーのANARCHY(アナーキー)が来るという。ANARCHY、自分でも知ってるぐらい有名なラッパーだ。

思わず「じゃあぼくも行こうかな」と言いたくなったが、そんな調子のいいことを言って、後からキャンセルしたら申し訳ないじゃないかと思って我慢した。ヤマトさんは19時頃に仕事が終わるから、そのときにまたLINE入れますから、と言った。

クラブの下見

ホテルに戻って、少し昼寝をするつもりがのんさんのライブ情報やANARCHYの新譜などをググっているうちに夕方になってしまった。どうやらANARCHYはニューアルバムをリリースしたばかりで、そのプロモーションの一環としてここ松山まで来るようだった。東京でも見に行ったことがないアーティストのライブを、旅先で見るなんて面白い。これもANARCHYがツアー中でなければ、私が松山に来ていなければ、そして私がのんさんと出会っていなければ、決して起こらなかったことだ。この円環を完成させるために、あと必要なことがあるとすれば、それは私がそこへ行くことだけだ。そう考えると、もうじっとはしていられない。ヤマトさんから連絡がある19時までゆっくりしているつもりだったが、その前にクラブの場所を確認しておこうと思って、早めに出た。

会場のCLUB BIBROS(クラブビブロス)は大街道から近いところにあって、予想どおり、いや思っていた以上に近寄りがたい場所だった。この辺は風俗街が力強く根を張っているので、そこから漂う闇の雰囲気が普通に怖い。そこいら中にある「無料案内所」からは違法な客引きを警告するアナウンスが爆音で流れていて、そのアナウンスのおかげで強引な客引きができなくなっているのはわかるのだけど、その音量の異様なデカさが「そこまでしないと防げないのか」と余計に怖さを引き立たせる。

クラブの場所や入口を確認して、逃げるように大街道に戻った。異様に幅広い道が煌々と照らされているアーケード街にほっとする。ふと向こうに目をやると、RubyKaigiの初日から掲げられていたのであろうバナー(横断幕)がアーケードにたなびいている。

大街道に掲げられているRubyKaigiのバナー

私はいつも、「本当はやりたいけど、怖くて踏んぎりがつかない」というときにやることがある。それは、「とりあえず、その近くまで行く」ということだ。「実際にやらなくてもいい、とりあえず近くに行くだけ」と自分に言う。それは自分を騙すような意図ではなく、本当に文字どおりの意味だ。実行するのでもなく、やらないと決めるのでもなく、ただ「もう少しよく見てみる」ことをする。それなら怖さも最小限だ。ただ見てるだけで、こちらから何も働きかけなければ、向こうもこっちに襲いかかってきたりはしない。だって、見に行くだけなんだから。そして実際に近くまで行ってみると、大抵の場合、恐れていたそれは全然怖くなかったことがわかる。なんてことだ、危なかった、近くまで来なかったら、自分はこんなに大したことないものを、ずっと怖がったまま死ぬところだった、と私は思う。恐怖というのは、遠近法とは逆の見え方をするものだ。つまり、遠くから見るほど大きく見える。

会期が終わってもなお、アーケード街にたなびくRubyKaigiのバナーを眺めながら、私はやっぱり行こう、ライブ、と思った。のんさんにもそう伝えて、退路を断った。

ハノイカフェ

19時を過ぎて、ヤマトさんからLINEが入った。どこにいます? と言うのでこの辺、と伝えた。中庭で話したときに、「どこに行きましょうか、何か希望ありますか?」と聞いてくれたので、ヤマトさんがよく行くところにしましょうよと言ったら、じゃあいつも行くベトナム料理屋があるからそこに、という話になっていた。大街道の中にベトナム料理屋があったから、そこかなと思っていたけど全然違って、脇道に入って、そのままさっきの「無料案内所」が立ち並ぶあたりもズンズン突っ切って、え、こんなところに、と思うところに突然現れたのが「ハノイカフェ」だった。

hanoi1999.com

自宅の近くにもいくつかベトナム料理屋があるので時々行くが、大体現地の人が片言の日本語で頑張って経営している感じで、そういうところかなと思ったが全然違って、日本人のシェフや従業員が何人もいるゴージャスな店だった。メニューも豊富で、すでに沢山の客が入っていた。とりあえずベトナムビールの333(バーバーバー)、次に蒸留酒ルアモイを使ったカクテル、そしてサイゴンスペシャル(缶)を飲んだ。

料理はすべてヤマトさんに任せて、パクチーのポテサラ、鶏肉のロースト、グリーンカレーなど。そして尽きないおしゃべり。年齢の話題になって、来週50歳だと言ったら「マジで??」と驚かれて、「うちの親より上ですよ」と言う。「親より上」は初めてかもしれない。ヤマトさんの地元の話、好きなもの、人、これからの展望というか、こんなふうになったらいいなみたいな話も聞けた。心が湧き立つ。音楽も漫画もアートも、教えてもらったものは何ひとつ知らなかった。でも、それでいい。いや、それがいい。

 
(つづく)