- なかなか怒涛。忙しい。
- 1週間ぐらい前にけっこう面白いことを考えていたけど、書かないうちに頭から消えてしまった。もったいない。
- それはもう戻ってこないから、今は今の考えていることを書こう。
- 先週はひたすらVimConfのLT(登壇)の準備をしていた。11/3にそれは終わり、大きな山を越えたという感じ。
- いやほんとに大変だったが、自分にとって大きな実りになった。大変だから面白い、と言っていたのは岸野雄一さんだった。それについて、ぼくは本に書き残したのではなかったか。『大谷能生のフランス革命』。
- 同書の制作時に一度だけ、チェルフィッチュの稽古場でお目にかかった山縣太一さんという役者さんが主宰するオフィスマウンテンの舞台をなんとか見られるように、毎日調整をしていたが、ようやくそれが済んでチケットも購入できた。楽しみ。
- VimConfが終わり、翌週11/10にはハングル検定がある。これの5級と4級を同日に受験する予定。
- 前回は勉強を初めて1ヶ月経ったかどうか、というぐらいで最下級の5級を受けたが、基準点60点に対して50点で落ちてしまった。といっても、ろくに勉強していない段階でそこまで行ったので本人的にはそれなりに満足だったが。
- 今回は、おそらく5級は大丈夫だろうが、4級はまず難しそう。とはいえ、一発逆転的に成果を残したい気も。そのために、仕事の合間に猛勉強中。それで、この日記ももうしばらく再開を延期しようかと思っていたけど、やはり日常の記録が消えてしまうのはもったいないから、少しでも、と思って書いている。
- とにかくVimConfの余波が大きく、なかなか韓国語モードに戻れなかったが、それを半ば無理矢理にでも戻すために、考えてみればこの勉強に至るきっかけのひとつとも考えられる、イ・ランさんの音楽を聴くようになり、あれ、これってめちゃくちゃ韓国語の勉強になるのでは・・と思って、最初はSpotifyで聴いているだけだったが、CDを2枚買った。
- 韓国語については、どうも「向いている」という気がよくする。単語を聞いたときに、それに対応する日本語よりも早く、それに対応する「感じ」の方が早く頭の近くに浮かんでくる。「感じ」というのは「イメージ」とも言えるが、しかし「映像」ではない。
- 感覚、と言ってもいい。あたたかさとか、重さとか、そういうのと同じ「感じ」が頭や体のまわりに浮かんでくる。それが「その意味は、日本語だとこれだ」とぼくに言ってくる。というか自然にやわらかく迫ってくる。ぼくは韓国語の海というか、川というか、そういう少なくない水の中を泳いでいるような感覚を味わっている。
- 韓国語を学ぶようになったきっかけは3つぐらいはすぐに浮かぶ。その一つは上記のとおり、イ・ランさんのライブを今年の1/11に、岸野雄一さんの新春恒例ライブで見たことで、またそのときにDJをしていたパク・ダハムさんを含めて、その後の打ち上げで少しおしゃべりをした、その時間がたぶん大きな影響をぼくに与えている。
- 二人は日本語がうまく、かなりの部分日本語が通じ、すごいと思った。ぼくは韓国語がわからず、この言葉をわかりたいと、たぶん意識にのぼるよりも下のうっすらしたところで、思ったのではなかったか。
- もうひとつのきっかけは昨年の10月に山口市で行われたYCAMのイベントで、SFPCというニューヨークの先進的な学校から招かれたチェ・テユンさんにお会いしたことで、彼はたしか韓国系アメリカ人だったと思うが、その時からだから、韓国のアーティストというあり方に抗いがたい魅力を感じていたのではなかったか。
- しかしハングル検定、こんなことを書いているうちにあと2日しかなくなってしまった。そのうち1日(金曜)はその大半を仕事をして過ごしてしまうから、まったくどう考えても時間がないが。
- まずはともかく、鉛筆や消しゴム、受験票などをきちんと用意した上で、会場に時間通りに着く、ということを最優先することにするか・・。しかしまだその鉛筆も、消しゴムも用意はしておらず、受験票をどこに置いたかもあまりよく覚えていない。受験票は2枚あるので、2枚とも見つけなければいけない。