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ラクに痩せる方法

ああ、お腹すいたな。と思っても、食事を用意するのが面倒で、後回しにしたまま夕方になって、「もういいや」とパスしてしまうことが多い。

小学生の頃は明白に肥満児で、中・高・大学を経てもぜい肉が充分に体を離れることはなく、30代に入るまではそれがゆるやかに続いていたのが、39才になって受けた直近の健康診断では「痩せすぎ」と注意される程度には痩せ型になった。

ぼくは太っている頃から太っている自分が嫌だったから、現状の体型やライフスタイルには満足しているけれど、さすがに痩せ「過ぎ」というのは良くない。「痩せている(比較的)」ぐらいがいいのではないか。

たぶんこれから年齢を重ねるうちに、溜めたぜい肉は落ちなくなっていくだろうから、その分を見越してちょっとマイナスに寄せておく、ぐらいは良いとも思うが。

空腹じゃないわけではないが、何となく食べないうちにどうでもよくなって、結局食べない。という状況は、良し悪しはともかく「習慣」に関わることだろう。

生活習慣病という言葉があるが、「病」というほどのことではないとしても、望まない肥満もこうした習慣の問題に関わっているとは言えるかもしれない。

ぼくは以前は痩せたい、痩せたい、といつも思っていたけど、今はとくに思っていない。思っていないが、今ある習慣が「痩せている」を「痩せ過ぎ」にしているとは言えるだろう。

肥満の人が痩せるための方法は様々であるに違いなく、「これをやれば、誰でも・すぐに・健康に・リバウンドもなく、痩せられる」などという特効薬があるはずはない。

ぼくはいくつかの場所にいくつかの、太っている人が痩せるための方法を書いてきたが、それと重複するかどうか、方法の一例をあらためて書いておきたい。

健康に痩せるために最も重要なことは、「時間をかける」ということだと思う。

「時間をかければいい」というのは、ダイエットに限らず様々な問題に対してある程度の効き目をもつ万能薬の一つとも言えるかもしれない。

上で「特効薬はない」と書いたが、ここで言う万能薬とそれとの違いは、特効薬がどれも共通して「すぐに効果が出る」ことを謳う点にある。そしてそれこそが、「そんなものはない」とぼくが言う一番の理由でもある。

「すぐに」効果を得るためには、専門的で特殊な手間をかける必要があるはずだ。だから、「すぐに」と「ラクに」は共存しない。そして、だからこそそれは魅惑的な光を放ち、つねに誰かが捕われる。

「すぐにではない」という前提を置くことができれば、専門的で特殊な、一部の人にだけ許された方法を取らなくても、目的のものを手にできる可能性は上がるだろう。それはつまり、「ラクに」その目的を果たせる状況に近づくということでもある。

ぼくは太っているときには「今すぐ痩せたい、明日でもなければ、3時間後でもなく、今すぐに」と思っていた。でもそれは、人間には不可能なことだ。
そして結果的に、およそ10年の時を経て、体重は徐々に減り、余分と思えるぜい肉も消えていった。

ようは、「時間をかける」ことを受け入れられるかどうか、ということだと思う。

世の中にはもしかすると、数ヶ月で理想の体型になり、その後何十年も快適に暮らし続けた、という人もいるかもしれないが、それが平均的なあり方だとは思えない。それは考えられるかぎり最も成功したレアケースであり、宝くじにあたったようなものだろう。

「時間をかける」という方法は、多くの状況下で問題を解決するに違いないが、当事者が最も忌避するのもそれであり、そのことがまた、そうした問題の解決を困難にしている。