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気づきメモ

最近の気づきをいくつかメモ。

後回し

物事を後回しにすることの問題。自分でイメージしているよりだいぶ負債感が強いのではないか・・とふと思い、どのぐらいマズイのかちょっと考えてみた。
まず、後回しにしてしまっているとき、頭でイメージしているのは、単なる持ち越しというか保留というか、手元にキープしておく感じで、何も失っていないという情景。何も得てはいないけど、失ってもいないという。
しかし実際には、何かを必ず・確実に失っているはずで、これはたとえばレンタルビデオ(古)の延滞料金とか。あるいは、銀行のATMで時間外に現金を引き出した時の手数料。あるいは借金の利子。適切なタイミングでさっさと対応していれば払う必要がなかった出費みたいなもの。それを、後回しにしている間ずっと払い続けている感じ。
利子とか手数料だと「小さな出費」という感じもするから、もっと致命的に近い喩えを考えるべきかもしれないが。少なくとも「キープ」ではなく、後回しにしている間はずっと何かを失い続けているということを言いたい。

ただし、状況が不安定でリスクを見定められないような場合、たとえば病気の経過観察みたいな、手術をするかどうか微妙だから様子を見るしかない、みたいな状況はたしかにあって、そのように何らかのアクションをしない方が良い可能性がある(それをすることによってより大きなデメリットを被るかもしれない)という場合には、手数料を払ってでもアクションを後回しにした方が適切とは言える。

冷笑する特権

五輪反対やLGBTQ支援やフェミニズムといった運動をする人たちに対して、「そんなに熱くなっちゃって、もっと冷静になりなよ、そんなんじゃ誰も話を聞いてくれないよ」という上からな態度の人が相変わらず少なくなく、一体どういうことかと思うが、結局はそのように余裕を持って語れる特権的な立場にあるということなんだろう、と思った。これはヴィルジニー・デパントがBLM関連でどこかに寄稿した話を誰かがTwitterに流したらえらいRTされた、それと同じような話でもあるんだけど。あれは白人であることを意識せずに済むのが白人の特権である、みたいな話だったか。

少し前に、noteで岸野雄一さんが『民主主義のエクササイズ』という論考を公開していて、今は有料で読むことができるけど、そこで言われていた非常に重要なトピックとして、自分のユニークさをアピールするために他者との差異を表明するという現象があり、その表明は多くの場合その他者を批判することによって成り立っている、その際にはその表明が目的なのではなく、「ユニークな私」をアピールすることが目的になっている的な、実際にそのような表現で書かれているわけではないんだけど、僕はそのように読み取ったその話がまた非常に近い内容でもあると思っている。

岸野さんの同論考はこちら。
note.com

元々は雑誌『ニューQ 03号』に寄稿された記事なので、現物が欲しい人はそちらがオススメ。
https://newq.theocorp.jp/magazine03newq.theocorp.jp

他人を自分の人生の評価者にしてはいけない

自分の人生は成功だったか、失敗だったか、意味はあったか、無かったか、といったことを考えるときに、その判定を他人に委ねてはいけない。あの人が駄目だと言ったから駄目なのだ、なんて決めてはいけない。その人は何もわかってなどいない。他人による自分への評価を、自分に関する評価の参考にはしてもよいかもしれないが、他人による評価を決定事項にしてはいけない。