103

単純な敵に複雑な我々が勝つための方法

同僚が体調不良で休みになったので、急遽自宅作業でいつもより多めのサポートをこなした。

普段は同僚と2人体制だから、ぼくは朝イチの対応を自宅でやった後に、電車が空く時間を見計らって午前の遅めの時間に会社へ移動する。しかし同僚がいない場合、その移動中に問い合わせが来る可能性があるので、その穴をあけないように自宅で対応を続けることになる。

自宅作業は通勤をしないという意味では明らかにラクなのだが、集中しすぎたり、そもそも仕事をするのに会社ほど適した環境でもないので、とくに忙しいときなどは、これをやるとけっこう疲れる。今日は比較的問い合わせが多く、だいぶ疲れた。久しぶりに、時間が終わってからしばらく横になって休んだ。これは珍しい。

とはいえ、このように、いきなり自宅作業にできたり、スライド出社できたり、そもそも7時間労働だったりするのはありがたい。業務内容も自分に向いているようだし、いろいろ運がよかった。まあ、それも自分で掴んだ運ではあるが。

以前、scholaを作っていた頃はどうだったか。一人で作っていたわけではないが、にもかかわらず思い出すのはいつも一人で作業していた情景だ。思い出せば失敗と後悔ばかりで、だからなるべく思い出したくない気もするが、それでも手は抜かなかった・・とは、以前にも書いたっけ。

Twitterを見るといつも知らないことが流れてきて面白いが、争いのたぐいを目にすると、「戦う相手を間違えてる」と思うことが少なくない。不快やストレスを感じ、その向ける先が、不快の原因ではなく、たまたま目の前にいる、ちょっとだけ考えてることが違うだけの人だったりする。どちらかといえば、仲間と言うべき相手だったりすることさえ、ある。そんなところで相手に勝っても、仲間が減るだけでは・・本当の敵はのうのうと生き続けるぞ、と思えてくる。

本当の敵は、狡猾かもしれないが、でも基本的には単純だ。単純だから、一枚岩になれる。それは強い。一方で今虐げられている、力を持たない人々は多様で、バラバラだ。一人ひとりが異なる嗜好・指向を持っている。だから、まとまらない。つまらない、どうでもいいようなことで相手の不備・・というか単に自分と違うところを責めては潰してしまう。それをしている間に、本当の敵は団結して快進撃を続ける。

どうすればいいのだか。我々もまた、社会を変えたいとは思っている。このままで良いわけがないと思っている。寛容にならなくては。100%一致する必要などないのだ。弱く、ゆるくつながり、伸び縮みしながら、排除するものだけを排除し、本当に思っていることをすべては言わず、実現すべき優先度を明確化し、一つひとつ実現していこうではないか。していこうでは・・そう思わないか。

人々の考えは枝分かれしていく。これは不可逆だ。考えれば考えるほど、我々は一人になっていく。しかしそれにより、同時に「一人になれた人間」という共通点を持つことができる。何十世紀も昔に生きた、そのような人たちともつながることができる。違ったままつながり、誰かに勝つことを目的にするのではなく、皆がおおむね幸せに生きられる社会を作れたらいいのに、と考えている。