103

オフィスマウンテン公演『NOと言って生きるなら』を観た

  • 先週土曜、11/16にオフィスマウンテン公演『NOと言って生きるなら』を観てきた。横浜、STスポット。
  • この公演には大谷さんが俳優として出てくる。大谷さんとはしばらく会っていなかったし、主宰の山縣太一さんには以前から興味があったから、公演の存在を知ったときから行きたいとは思っていたけど、11月前半にはカンファレンスの登壇やハングル検定などいろいろ重なって我ながら多忙で、行けるかな〜・・と不安になっていたものの、最終日前日のこの日なら行ける!とわかったその瞬間にチケットを予約した。
  • 山縣さんとはじつは大谷さんとの共編著『大谷能生フランス革命』を作ったときに一度会っていて、同書にゲストとして登場された岡田利規さんが主宰するチェルフィッチュの稽古を見学させてもらったときに、簡単にご挨拶をした。

大谷能生のフランス革命

大谷能生のフランス革命

  • その山縣さんと大谷さんが以前からいろいろやっていたことは知っていたけど、大谷さんが役者として演劇をしているところは観たことがなかったから、この機会に、と思って。
  • 「この機会に」といっても何かわかりやすいきっかけがあったわけじゃなくて、でも去年の今頃に転職して、時間があればあるだけ編集作業をやっていたフリーランス時代とは違い、会社員として仕事の時間とそれ以外の時間がパッキリ分かれるようになって、ああ本当にやりたいことを、仕事以外の時間にできる!となってきていよいよ何というか、そういう自分にとって大切なことをするために時間を使っていいんだ的な感じが体に浸透してきたそのタイミングで、みたいなこと。
  • で、Twitterでほとんど偶然にこの公演があることを知り、これが自分にとってのその「時間を使うべき大切なこと」だとふと、ピーンときたみたいな感じもあって、ということ。
  • 行ってみて、なんというか、この少なくとも10年以上のあいだ、ずっと忘れていた感覚を思い出した気がした。それはたぶん20代の頃、何でもできる、どこまででも行ける、と思っていたそのとき、何も根拠はないがとにかく今までに見たことのないものを自分だったら作れる、というその感覚。全能感というほど無邪気なものでもないけれど、自分の体と発想を使って何でも作れる、誰とでもつながれる、という創作がもたらす可能性みたいなものを、一気に何十年分も思い出し、ぐいっと引き寄せてしまった。それがもう手元にある。
  • 客席には若い人が多く、また見たかぎりほとんど満席で、それも心強かった。山縣さんはTwitterなどでチケットが売れていないと何度か言っていて、この作品がそんなんで大丈夫か日本、と不安になったけど、当日券も売れていたようだし、大丈夫かもしれないと思った。繰り返すが、若い人が多かったというのは心強かった。
  • 作品は、最初はもうまったく何がなんだかわからなかった。全然ついていけず、というかついていけるとかいけないとかの問題ですらなく、ひたすら「困った」という感じだった。「このままこれを60分見られるのか、自分の力で」と思った。
  • でも、後から思えば、その感じ方はたぶん正解だ。というか、間違った感じ方なんてないかもしれないが、少なくともその困ったり、途方に暮れたりする反応はじつに自然で、それでよかったはずだろうと今なら思う。
  • 途中で、そうか、これは音楽だと思って見ればいいのだ、とふと思った。大友良英さんやデレク・ベイリーの演奏のようなものだと思えばいい、と。たしかに、というか、そのように見ると、すべてが既視感の上に成り立つように思われ、急激に体の中を安堵が走った。「よかった、これ、見たことある」と。
  • しかし、それは間違いだろう。さっき「間違いなんかない」と言ったばかりだが、しかしそのように「こう扱えば安心する、すでに知っているものにカテゴライズできる」という見方は単純につまらない。そんなの見る意味ないし、貴重な時間を使ってやることでもない。そのことに気がついて、「音楽として見るなんて見方はやめよう」と思って、それでまた困り始めた。でも、この「困り」は全然いやな感じではなかった。
  • 終演後の、ハラサオリさんとのアフタートークが面白かった。事前の感覚では、このアフタートークという時間自体、「終演後にそれについて何か話すなんて、新鮮な自分だけの感想が吹き飛んでしまうのではないか」と懸念したものだけど、全然そんなことはなく、むしろ感想が熟成されるように、より濃密なものとして残った。とくに、以下の本の中で触れられていた「人前に立つということは『異常事態』である」という話、これにまつわるエピソードで、ハラさんも自分の鼓動が耳に聞こえるぐらいに緊張する、と言っていたのはすごく意外というか興味深かった。また、その『異常事態』に関する山縣さんの話自体も非常に面白い。

身体(ことば)と言葉(からだ)?舞台に立つために 山縣太一の「演劇」メソッド

身体(ことば)と言葉(からだ)?舞台に立つために 山縣太一の「演劇」メソッド

  • もう一つは、ハラさんが気づいたという、公演の前半で、天井の方でカチっと音が鳴ったときに大谷さんと山縣さんが同時にそちらを見たという話、これはぼくも気づいていたから、「同じこと言った!」と思った。
  • しかし後から考えてみたら、それに対して山縣さんは「音が時々鳴るんだ、響くんだここは」みたいなことを言っていて、ということはそれはある意味でアドリブ的な、その場ならではの一回的な出来事に対して身体が反応して、それを観客に見せたということで、しかしそれって山縣さんが言う「徹底的に練習してアドリブの要素が入り込む余地がないところまで繰り返し、それを再現する」というのとは少し異なるような?とも思った。この辺、実際はどうだったのか。(つまり、その「天井の音に反応する」というのも稽古には含まれていたのだろうか)
  • 公演が終わってから、久しぶりに大谷さんと雑談をした。大谷さん、事前に公式動画なんかを見たときも「変わってねェ〜」と思ったけど、話してみたらさらに以前のままで、笑った。話せば話すほど、大谷さんだった。
  • 転職したから、少し自分の自由な時間ができるようになった、それでこれを観にこれた、みたいな話をしたら、また一緒に何かやろうよ、みたいなことを言われ、嬉しかった。できるのかな、まだ何か。できるだろう、たぶんきっと。