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嫉妬をこじらせない

以前から、同世代か年下の世代の人たちが活躍するのを見るたびに、自分が無価値な存在であるように感じられてしまって、その感覚を嫉妬と呼んでいた。

嫉妬はあまり愉快な感覚ではないから、自然に「嫉妬は良くないな」と思ってもいたけれど、これを完全に排除するのも難しいよな、と最近では思っている。

誰か自分より優れた(ように見える)活躍をしている人がいた時、自分が惨めに思えるのは、その相手と自分とを比較しているからで、つまり嫉妬は「比較」から生じていると言えるだろう。

となれば、嫉妬を排除するには比較を排除しなければならないことになるが、比較を排除するということは、「世界記録を1秒でも更新したい」とか、「昨日の自分より少しでもマシでありたい」みたいな向上心をも排除することになってしまう。

向上と比較は不可分で、となれば向上心と嫉妬心もまた不可分というか、それはコインの裏表のように、同じ現象が持つ別の側面なのだと思えてくる。

同世代や年下の人たちに嫉妬を感じるのは、それが自分との比較対象になりやすいからだろう。逆に、年上やそもそも能力がかけ離れたような人に嫉妬を感じないのは、比較対象として認識しづらいからだろう。

(百歳の人の気持ちを想像できなかったり、メジャーリーガーが自分より野球が上手くても当たり前だと思えたり)

嫉妬をこじらせる、という表現が世の中にあるかどうかは知らないが、そのように言える状況があるとしたら、それは「自分の中に生じた嫉妬を認めない」みたいなことだろう。

自分の中に嫉妬が生じたことを認めないということは、実際には自分にそのように感じさせた他人の能力の高さを(あるいは自分がそう認識したことを)認めないということになるけれど、そのようにしても自分の中の不愉快な感情は解消されず、滞留したままだから、その解消のために相手をおとしめるような言動に至る、というパターンがあるように思える。

何かと何かを比較しなければ向上を図ることは難しい。その向上心や比較能力のいわば副作用のようなものとして、嫉妬という現象があるのだと思える。

現実的に困った現象が生じるのは、だから嫉妬という感情自体が原因なのではなくて、嫉妬を隠そう、誤魔化そうとすることに起因するのではないかと思っている。

時々Twitterを見ていると、若く才能ある女性が心ない言葉を浴びせられていたりして、多くの場合それを言っているのは男性だったりするのだけど、ああ、これは嫉妬を受け入れられず、不適切な形で解消しようとしているのだな、と思ったりする。

ちなみに、前提となる概念にズレがあると話が適切に伝わらないので、一応ここで念頭に置いている「嫉妬」を定義しておくと、Macのデフォルト辞書の「嫉妬」の項目に書かれている以下で大体一致している。

【嫉妬】
① 人の愛情が他に向けられるのを憎むこと。また,その気持ち。特に,男女間の感情についていう。やきもち。「―心」「夫の愛人に―する」
② すぐれた者に対して抱くねたみの気持ち。ねたみ。そねみ。「友の才能に―をおぼえる」

しかしこの2番の説明、普通に読むとあまり説明になっていないというか、「じゃあ、〈ねたみ〉って何?」という感じなので、「ねたみ」を同辞書で引くとこうなる。

【ねたみ】
① 他人の幸福や長所がうらやましくて,憎らしいと思う。「仲間の出世を―・む」
② 腹を立てる。くやしく思う。

これも今回念頭に置いている「嫉妬」の内容とほぼ一致していると思う。