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commmons: schola を卒業します

2008年9月に発売された第1巻「J・S・バッハ」から、今年3月に発売された第17巻「ロマン派音楽」まで、10年にわたり携わってきました坂本龍一さんのCDブック音楽全集『commmons: schola(コモンズ・スコラ)』の編集担当をこのたび退任することになりました。

今までお世話になりましたスタッフの皆さん、坂本さんをはじめとするコアメンバーの皆さん、各巻のゲストの皆さん、執筆家・アドバイザーとして関わってくださった専門家の皆さん、デザイナーの中島英樹さん、第1巻から13巻まで校正を担当してくださったアサヒエディグラフィさん、第14巻『日本の伝統音楽』以降の校正を担当してくださったキモト読物工舎さん、印刷会社のプロストさん、音楽業界では異例とも言える、会社同士の枠を越えて音源や資料の提供にご尽力くださったレコード会社各社の皆さん、そしてぼくをこのプロジェクトに呼んでくださった後藤繁雄さん、本当にお世話になりました。ありがとうございました。

読者の皆さんにも感謝しています。ぼくがscholaを作るときに考えていたのは、いつも読者のことでした。

なにしろ税別で8,500円の商品です。17巻に至っては、2枚組ということもあって税込みで1万円を超えてしまいました。これだけのお金があったら、他にもできることがたくさんありますよね。でも、それをせずにscholaを買ってくれた読者の皆さん。中には、1巻からすべて揃えてくれている人もいます。

ぼくは、そういう人たちを大切にしなければならないと思ってきました。それは義務を負うような感覚ではなく、この人たちを大切にしないでいられるわけがないという、「当たり前に大切なのだ」という感覚でした。

お金を払うということは、命を削る行為だと思います。上にも書いたとおり、そのお金でご飯や着る物を買うこともできるわけですから。その大切な元手を使って、scholaを買ってくれる人たちがいました。
そのような人たちのために、ぼくが自分の使命として考えていたのは、次のようなことでした。

  • 坂本さんの濃度を、坂本さんと読者の間に入る自分が薄めないこと。
  • 坂本さんが心から良いと思うものを作ること。

ぼくは坂本さんが満足するものを作りたいと思っていました。それはもちろん、坂本さんのためになることであり、坂本さんのためにやることでもありましたが、でも本当に大事な目的はその向こうにあって、読者が喜ぶのはそういうものであるはずだから、だからこそ、それを作らなければならないと思っていました。

「坂本さんが心から良いと思うもの」は、坂本さんに喜んでもらえるだけでなく、読者に喜んでもらえるものになると思っていました。ここで言う「読者」には、今を生きる人たちだけでなく、これから生まれてくる人たちも含まれます。その新しい人たちは、今とは違う価値観や、社会の空気の中でscholaに触れるでしょう。今を生きる人にも、未来を生きる人にも届くコンテンツを作るためには、ただひたすら、坂本さんが「良い」と思うものを作ることに集中するしかないと思っていました。

結果は……どうだったでしょうか。わからないですね。もちろん、たくさんの時間や労力を注いできましたが、どこまで限界に近づけたのか、どれだけ突き詰めて作業をできたのかといえば、確たる自信はありません。

でも、手は抜きませんでした。「もっと誠実に作れたかもしれない」とは、少なくとも今のところ、どの巻に対しても思っていません。もっと良いものはできたかもしれないけれど、それは自分が担当している間はできなかっただろうと思っています。

commmons: scholaは、現在も制作が続いています。ぼくの後任は決まっていて、すでにバリバリ制作に入っています。後任はすごいです。こういうときには、前任者が「後任は自分よりすごい」と言うのが常ですが、本当にぼくよりすごいです。18巻以降、scholaのクオリティは必ず今までのそれを超えます。

退任の理由について、どう書いたらいいか、いま手を止めて少し考えましたが、「一身上の都合」と言うのが一番適切かもしれません。様々なタイミングが合ったのだと思います。「17巻で交代」と言うとめちゃくちゃ中途半端に聞こえますが、「10年」と言えばこの上なくキリが良いようにも感じられます。

任を離れるにあたって、「卒業」と表現するのはいかがなものか? と少しは思いました。それってなんだか、現場の大変な部分を誤魔化したり、美化したりしているようではないか? と。でも、scholaは「音楽の学校」ですし、ぼく自身にとってもやはり「音楽の学校」でした。

scholaの仕事をしていなければ知りえなかったこと、出会うはずもなかった人たちとたくさん出会いました。知らないジャンル、知らない時代、知らない地域、知らない人々による演奏や録音、文献に触れ続けた10年でした。それもこれも、まずは何よりも先に坂本さんのフィルターを通した候補曲や話題があって、そこから始まる音楽の旅でしたから、いつもこの上なく効率が良かったですし、しかし1ミリ先には常に知らないものが待っているという、猛烈にタフで、刺激的な旅でもありました。知らないことに触れ続け、音楽を通して人や自然を学び続けた10年でした。そんな学びの場から離れるわけですから、やはり「卒業」で良いのでしょう。

11月からは、今までとは異なる環境で、次の活動をスタートします。これについては、またアナウンスをします。

これからのscholaを楽しみにしていてください。これまでのscholaがなければ実現しなかった、でもこれまでのscholaでは見ることができなかった、新しい世界への入り口が示されるはずです。ぼくも楽しみにしています。

commmons:schola(コモンズスコラ)-坂本龍一監修による音楽の百科事典- | commmons