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多数派は奪われる

時々読み返している森博嗣さんの日記本で、以下のような文章に出くわした。

セクハラが話題になるごとに感じますが、森よりも上の世代は、やはり子供のときからの環境がどっぷりセクハラ社会だったために、よほど意識が高くないかぎり、ほとんど罪悪感を持っていない、という人が多いようです。口では「最近はセクハラになるからね」と言って苦笑し、でも心の中では、「何が悪いんだ?」と反発しているわけです。たとえば、小学校のときには、スカートめくりなんてものが普通に行われていた社会でした。「短いスカートを穿く方が悪い」「女性だって喜んでいるはずだ」と本気で信じている世代なのです。それを怒る女性を、変人のように見てしまうわけです。
(略)
男女平等などの流れで、「女性ばかりを優遇しすぎではないのか? それでは平等ではない」と反発する声もあるのですが、これは、これまでの歴史を知らない発言だと言われてもしかたがないでしょう。つまり、それくらい女性を優遇する仕組みを押し出しても、まだまだ平等ではない、という歴史です。真っ直ぐ走るためには、ハンドルを真っ直ぐにすれば良いわけですが、今まで右に進んでいたら、左にハンドルを切らないと真っ直ぐにはなりませんからね。
(略)
テレビなどで男性のタレントが、なにげなく話している内容、ちょっとふざけたときに出る言葉、そして態度などに、ときどきもの凄く不快なものがあって、それらは、たいてい上記の「勘違い世代」に根ざした「無意識」です。そういった世代に育てられて、同様の感覚を持たされた若者もいることでしょう。テレビ局はよくああいったものを電波に乗せるな、と思います。おそらく見ている人の大半が、その世代なのでしょう。結局はジェネレーションが変わるまで待たないといけない、のかもしれません。特に悲観的になっているのではなく、言いたいことは、「昔は風紀が乱れていたな」ということです。
(※太字は原文ママ/2001年12月27日の日記より)

ハンドルの喩えはとてもわかりやすい。明快にして適切。自分の中でも感じていた、でもうまく表現できていなかった現象をあっさり言い当てていて、やはり森さんはすごいなと思わされた。

とくに悲観的になっているわけではない、という部分にも共感する。現状を肯定するわけではないけれど、少しずつ良くなってきていることは確かだと思える。

少し似た話で、以前にTwitterで見た以下の表現もこの辺の状況をうまく言い当てている、と思った。

2ページ目にある、ピラミッド型の図説は上記のハンドルの喩えとつながるところがある。

自分なりの言い方でこういった現象を説明すると、「多数派はつねに奪われる」ということになる。

多数派に所属する人は、多数派ゆえの優遇を受けていながら、自分が優遇を受けているとは認識していない(または認識しづらい)。だから、その優遇が抱えている不当さを解消しようという動きが始まると、「すでに平等であるはずなのに、なぜ自分だけが利益を奪われるのだ?」と反発してしまうのではないか、と想像している。

客観的に見れば、「いや、あなたはこれまでわけもなく優遇されていたのであって、それを平等に戻すのだよ」ということになるのだけど、優遇を受けている側からすれば、自分が優遇されているという感覚は持っていないし、社会はすでに「平等」になっている。

タバコの問題にはそれが象徴的に表れている。

受動喫煙を減らそうとか、路上喫煙はやめましょうとか言っても、昔はどこでも気にせず吸える方が「普通」だったわけで、普通のことができなくなれば、その普通による利を享受していた人にとっては、自分が「普通よりマイナス」の環境に追いやられたと感じても不思議はない。

夫婦別氏制度の議論についても似た状況があると感じている。客観的に考えれば、見ず知らずの夫婦が異なる氏(姓)を名乗ろうともそれで不利益を被る人などいないように思えるけれど、夫婦であれば誰もが同じ姓を名乗ることが普通だった社会で長く過ごし、その一員であった人の中には、その「普通」を構成するメンバーが減ることに不安を感じる人もいるかもしれない。よその夫婦が異なる氏(姓)を名乗ることに反対するのは、その「多数派であるところの自分を支えていた状況」が崩れることへの不安が作用しているのではないかと思っている。

しかしながら、いずれにしても、多数派とは物事を任意の範囲で切り取ったときに生まれる暫定的な割合のことであって、もともと不変のものではないだろう。人々の嗜好(指向)や傾向、属性といったものは細かく見ていけば必ずどこかズレているはずで*1、そのズレを「大体同じ」と見るか「全然違う」と見るかの問題であるとも思える。

ちょっとのズレを「いいじゃん、同じで」とひっくるめれば多数派が形成され、その中でもとくにその特性にフィットする人は優遇を受けられるが、「違うんだけどなあ・・」と感じる人は不利益を被ることになる。

逆に、そのちょっとのズレに注目して、違いを価値としてアピールしたり、そこにビジネスチャンスを見出したりする人が増えると、多数派は多数派を保持することが難しくなるかもしれない。そして基本的には、人の指向や傾向といったものは細分化されていくものだと思える。件のタバコにしても、ぼくが子供の頃にはそれほど選択肢はなかった。ハイライトならハイライトだけ。マルボロならマルボロだけ。それが次第に、同じブランドでもマイルド系、ライト系などちょっと軽めのものが出てきて、やがてウルトラマイルド、スーパーライト、3ミリ、1ミリ・・どこまで刻んでいくのかと思っていた。

「大体同じ」から「細分化」への動きはおそらく止められない。人間が自らの快適さのためにそれを求めている。そして細分化されるごとに新たな多数派が生まれ、その多数派はまた奪われる。

*1:同じ人間ですら、時間が経てばかつて好きだったものを嫌いになったり、その逆になったりする。