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自分を責める力をコントロールできるか

いわゆる自己啓発本。のようにしか思えない書名で、実際そういう感じも強いが、知り合いが良いと紹介していたので買って読んでみた。

オプティミストはなぜ成功するか [新装版] (フェニックスシリーズ)

オプティミストはなぜ成功するか [新装版] (フェニックスシリーズ)

事前の想定どおり、ん〜、と思う部分はやはりあって、そういうまさになんか、自己啓発的なワークショップでやるんじゃないか、的な、たとえばパートナーにわざと自分を責めさせて、それに対する反論を繰り返し、それを習慣にするとか、そういう感覚を身につけることによって、普段から自分を責めるタイプの人をそれだけにさせない(自分自身に言い返す)人にする、みたいなのとかはどうかと思った。

それはちょっと僕の感覚からすると危険というか、少なくとも自分には耐えられないというか、いや耐えられないだけでなく、ある種の演技として自分の欠点を責められても、あまり互いに得るところないんじゃないの、とか、そういう違和感はところどころにあったけど、良い点も少なからずあった。

というのは、たとえば本書では基本的に悲観的な人というのは不幸を自ら呼び寄せるところがあって、本当は大して問題ないのに「俺は駄目だ〜」とかなってその後のリカバリーを放棄して本当にダメになってしまうとか、楽観的な人はその逆だとかいう主旨の上で、悲観主義者というのは無根拠に自分を責めるクセがあって、そこに問題があるので、「本当にそうなのか?」ということを冷静に考えさせればいい、みたいな話をしている。
で、それはそうだと思った。

(ちなみに、本書はだから基本的に楽観主義礼賛みたいな感じだけど、同時にそれがもつ悪点とか、悲観主義の良点とかについても触れている。悲観主義者の良いところは、ノリとか思い込みで浮かれていると冷静さや厳密さを求められる場面や職業では機能しないため、そういう人も必要不可欠ではある、みたいな話)

ぼく自身のことを言うと、ぼくと一緒に仕事をしている人などは「だよね〜」と思うと思うが、とにかく気に入らないこととか、それ違うやろ!と思うことなんかがあると、熾烈にそれを責める。おかしい!おかしい!それは変だ!と言いつのる。
まあもちろん、状況に応じて、そんなこと言うべきでないときには言わないわけだけど、それでも前提的な姿勢としては、論理的に承服できないことが見つかると、論理的にそれを変えよう(というかマトモな状態に戻そう)という欲求が非常に強くなってそのように強めのアクションをしてしまう。

と同時に、そのような熾烈な責め立てというのを、ぼくは自分に対しても日常的にやる。で、その責めに対して、自分でも「だよね〜」と無根拠に信じてしまうというか、いつも周りに対してするように、それは論理的な批判だと思っているからそのまま受け止め、だからそのつど大変つらい目にあっているのだけど、よく考えると、自分が自分に対して行うその攻撃というのは、少なくとも僕の場合、たしかにそんなに根拠がない場合もあるな、と思わされた。

「自分が言うのだから」というだけの理由で、「ですよね〜」と、責められてもそのまま受け入れてしまうのではなくて、「なんで?ほんとに?」と問い返すことってあんまりなかった気がするので、そういう状況を改善するには役立つかもしれない。

自分を責める内容が、たしかにその通りだったとしても、そんなに言われる程度まで本当にそうなのか、といえばそれはわからない。「たしかにそうかもしれないけど、そこまで言うほどじゃないでしょ」という場合もあるかもしれず、だから自己批判をするならするで、あるいはそれを受け入れるなら受け入れるで、しかしそれは本当に、その対象に応じた適切な大きさや、形や、量を反映した批判になっているのか?ということをチェックすることはいろいろと役立つ可能性があるかなと思い、そう思うきっかけになったという点では良い本だったと思う。