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ジム、とちぎ国体パワーリフティング、動いて力を得る

夕方、ジムへ。水曜以来。

朝から台風の影響なのかすごい雨風で、今日はジムとかは無理やなーと思いつつぼーっとしながら溜まったタスクを片付けていたが、夕方になってから急に雨がやんだので行くことに。

向かいながら&着いてから、ずっと以下の国体のパワーリフティングの実況ライブを見たりイヤホンで聴いていた。

  • <2日目>第4セッション 男子83級|2022 いちご一会とちぎ国体|ライブ配信

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解説がとにかく面白くて、ほとんど全部見聞きした。ジムについてからはほぼ音声だけど、種目・マシンを移るときにしばらく眺めたり。見応えたっぷり。こんなに面白いとは。

今日は体の節々が微妙に痛かったので、まあざっと体を動かしたら十分かと思っていたが、行ってみればあれもこれもやりたいことが出てくるもので、結局2時間半ぐらいやっていた。帰宅後の用事もあったのでその程度にしたが、実際はあと1時間近くできた気もする。

以前にも書いたかもしれないが、疲れというのは自分の場合、大抵は精神的なもので、元気というのもそれに近い。長い時間眠れば元気が出るのかといったらそんなことはなく、元気とか体力っていうのは、動いている中で蓄積されていくもので、動かなくなるとただ消尽されていくというか、穴の空いたバケツのように、だらだらと漏れ逃げていってしまう。元気を獲得するには動かなければいけない、疲れて果てて動く力がなくても、動かないと精神的な疲れは取れず、力も溜まってこないという矛盾したような仕組みがある。休んで回復したように見えるのは、体に残されたエネルギーを使って回復しているだけで、次に動くためにはそのための新しいエネルギーが必要になる。

これは物事の「安定」という状況にも似たような面がある。「安定」とは「不動」のことではなく、「常動」のことで、動き続けていないと安定はない。それはまっすぐに走っている自転車とか、飛んでいる紙ヒコーキのようなもので、あるいは止まったように空を旋回するトンビとか、グライダーみたいなものというか。飛び立てばいずれは必ず地面にグシャッと墜落するわけだが、それでも飛び立たなければ安定は得られない。飛ぶ前のためらっている状態は、安定ではなく不安定だ。安定を得るためには飛ばなければいけない。飛んでいる間だけ安定を得られる。グシャッとつぶれて不安定な状態に陥ったら、また飛び出さなければいけない。二度と飛び立てなくなるまで、そうし続けるしかない。生きるとはそういうことで、飛んでいるうちに得られたエネルギーは穴の空いたバケツにしか格納できず、全部が漏れ出てしまう前に使い切ってしまわなければいけない。少しでもエネルギーが残っていたらそれを使って再び飛び出し、また得られたエネルギーで飛び続ける。自転車操業とは悪い意味で使われることが多い言葉だが、ここには何だか自由が感じられる。

所用のハシゴ、読了、稚拙な物語

午前11時起床。前日は2時半頃に寝たので、ようやく8時間睡眠確保。しかし11時まで寝ないと8時間確保できないとは良くない。もう少し早く休みたい。

昼から午後にかけて、所用のハシゴ。まず所用Aを電話で済ませて、出かけて所用B、そのまま少し足を伸ばして所用C。猛暑というか、ものすごい蒸し暑さでダラダラ汗をかいた。

外では普段ジムで着ている速乾性のスポーツウェアを着ていたが、汗を吸う前の段階で冷房が効きすぎたビルなどを行ったり来たりするうちに体が灼熱と寒冷を行き来するような感じになって危険を感じた。

帰宅してしばらく休んで、終盤まで来ていた以下を読み終えた。

非常に面白かった。参考図書には多くの本が並んでいるが、本書は2021年春の出版ということもあってアクセスできるものが少なくない。これを入り口にいろいろ読み進めたい。

著者のいのうえさんはプロフィールを見ると1939年生まれだというので驚いた。以前の感想でも書いたが、非常に軽やかでオープンな、言ってみればノリの良い文章で少なくとも戦後生まれの方だと勝手にイメージしていた。けっして攻撃的ではない、どちらかと言えば穏やかな筆致だが、パワフルでエネルギーを感じる本だった。

ここで紹介されている各種の新宗教の教義等を眺めながら、そこに共通しているのは「幼稚さ」だと感じた。現世利益を求める俗的な人々をターゲットにしているからなのか、「え?」と聞き返したくなるほど単純で極端な話ばかりが至上の教えとして示されている(「神」とか「霊」とか「サタン」とかが喩えではなく、現実世界に影響を及ぼす実体のある存在であるかのように扱われている)。

この「幼稚さ」を象徴するのが、著者のいのうえさんも最後にあらためて付記している「男尊女卑」という共通する女性観である。男尊女卑は、男性が無意識のうちに素朴に獲得している観念であって、それは男性自身が女性のあり方や心情を想像したり、自らのその素朴な感性を批判的に省みたりすることがなければ崩されることがない、単純で浅はかな概念の代表と言える。私は現在の日本政府および与党の政治家たちが選択的夫婦別姓に消極的である理由を、その多くを占める男性議員の幼稚さ・思考力の低さにあるものと見ていたが、それだけの問題ではなく、彼らがこうした新宗教と結びついていることも大きく影響しているのではないかと本書を読んで感じた。

第1次安倍内閣は「お友達内閣」などと揶揄されていたが、それは揶揄などというかたちで気軽に批判されるべきものではなかった、と今となっては思う。それは幼稚な政治家たちのあり方を容認する初めの一歩だったのだと思う。それは専門家たちの批判的な意見を汲み取り、昇華しながら建設的な方針を立てては実行していくといったやり方の真逆にある、自分たちにとって心地よい場所で自分たちが気持ち良いと感じることだけを優先し、批判されれば激昂し、支離滅裂な答弁を自信たっぷりに繰り返すといった幼稚な振る舞いに簡単に直結し、またそれは強引で陰湿な公文書の改竄や、彼(ら)の想像の範疇に存在しない社会的弱者たちに対して、憎悪すら感じられる攻撃的で冷淡な扱いを公的機関に行わせることにもつながった。自らを批判するものはすべてサタンとして扱うという、論理のかけらもない浅薄で単純な世界観と、その政治家たちの子供っぽい欲望はよく似ている、というかほとんど同じものだ。

この「幼稚さ」という問題は、そのような政府与党には留まらない。最近ではSNSYouTubeを活用したトンデモな政党が少なからぬ支持を集め、議席を獲得すらしているが、この背景にも上記の新宗教と同様のことがあるように思える。トンデモな言説はそのディテールだけを見れば緻密な論理で構成されているようだが、俯瞰的に見れば支離滅裂で極端、不整合で稚拙なものだ。

稚拙で単純で、しかし劇的な物語に人が引き込まれるのは、日常が苦しく、十分にものを考える余裕がないことが影響しているように思える。現在の政府は先述の「攻撃的で冷淡な切り棄て政策」によって弱者をさらに追い詰めているが、そのように切り棄てられた弱者はそれでも残されたかすかな拠り所を求め、自分を救ってくれる単純な物語に手を伸ばしてしまう。そしてその単純な物語の提供者は、自らと親和性の高い稚拙な政府と結びつき、さらに問題を悪化させていく。ここにトンデモな政党がフリーライドして、また弱者の心の拠り所として支持を集めていく。

教祖が神に次ぐ存在で、他の人類とは一線を画す高尚なものであるとか、良からぬことはすべてサタンが画策したことだとか、ちょっと身を引いて考えればありえない話ばかりだが、それを一般の人々が信じてしまう、いや「信じたい」と思ってしまうことに核心があるように思える。我々はここから抜け出せるのだろうか。あるいは少しでも事態を改善させることはできるのだろうか。

読書、国葬、動画

仕事を終えてから、ジムへ。・・というつもりだったが、だいぶ疲れが溜まっているようだったのでパス。行けば面白いのだけど、その間の記憶がふっ飛んでしまう。他にやること、考えること、そしてもちろん体を休めること。そういったことがすべて後回しになる感じがあり、やめておいた。

代わりに、というわけではないがいくつか本を読んでいた。

半分ほど読んでいたけど、その続き。煽るようなところは全然ない、素直で平易な文章なんだけど、とにかく読みやすいのでグングン進んでしまう。85%〜90%ぐらいまで来た。恐ろしい現実がカジュアルに描き出されている。

元々は鷺沢萠さんが参加している、というのを見て買ったんだけど、鷺沢さんの寄稿は巻頭の1編のみ。だけど、他の寄稿も実力者揃いで面白い。これは買ってよかった。

とくに食べ物関連の佐藤行衛(ゆきえ)さん。面白い。佐藤さんは韓国でコプチャンチョンゴルというバンドをやっているミュージシャンだが、文章も上手い。最初は『中くらいの友だち』という雑誌(というか冊子というか)で文章を読んだけど、本書の寄稿はさらに自由なノリを感じられて良かった。他にもポップカルチャーを紹介している一ノ橋海甲さん、その他文化面を担当している伊東順子さんなど贅沢な布陣。

国葬

正式には「国葬」ではなく別概念に基づく「国葬儀」のようだが(内閣法制局立憲民主党議員からの疑義に対してそのように答えたとか)、ここでは誰もがわかるように「国葬」というが、のちのち「ちゃんと反対している人もいたのか」とわかるように、あらためて反対を表明しておく。

Twitterで自分がフォローしているような人ですら「別にいいじゃないか」という人がいるのだが(といっても1人だけだが)、単純にかかる費用の全額を税金でまかないということが不正である。自分が参加しないものに対して税金を使われるから反対しているのではなく、今なお全貌が明かされていない多くの不正の疑惑を抱える政治家のためのイベントが、それも葬儀という名目で、巨額の税金によって公的に開催されるということが常識としてありえないということ。このような、「常識的に考えてありえないこと」が閣議決定とやらで議論もなく確定し、平気で遂行されるようになってしまったのがまさに第二次安倍内閣以降のことだった。

国会での議論も承認も行われないということは、そんなことをしたら実現できないことを岸田総理自身も理解しているということだろう。安倍氏がそうであったように、卑怯で臆病な人間だと思う。まともな判断をできない人間が国のトップに立ってしまうことがいかに恐ろしいことかと思うが、それ以上に恐ろしいのは、そのような愚かな決断を止める立場にあるはずの人々もまったく機能しなくなってしまっていることだ。今できることは、このような卑劣な強行に対して「反対」であることを明確に示すことだろう。

安倍氏のすべてが悪かったはずはない。しかし、このように多くの反対意見(各社の世論調査では半数以上を占める反対意見)を切り捨てて開催を強行することにより、「国葬などというものに値する人間ではなかった」という、本来なら誰も考える必要がなかったことを多くの人が考えることになってしまった。結果として、必要以上に安倍氏の業績に対する印象を下げる契機になってしまったと思う。

今日の動画

休憩時間はひたすら筋トレYouTuberの筋トレ動画を見ていたが、それ以外では以下を見ていた。

  • 【スパイ小説】豊崎絶賛!驚きと感動に満ちた異色のスパイ小説を紹介!〜名作ゴン攻めあいうえお〜

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とにかく出し惜しみのないトヨザキ社長。無料でこの情報を得られるというのはありがたい。

  • ナイツ - - - 「自己紹介」/『ナイツ独演会』より

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昔のナイツ。なんだか不思議な勢いを感じられて良い。

アイシング、矛盾と付き合う、無色透明

昨日の朝から右肘が急に痛くなってきて、どうなるかと思ったが今朝は幾分良くなっているようだった。しばらくガッツリ休ませれば大事には至らなそう。

痛めたときはとにかくアイシング。ということで固めておいた保冷剤を日中はずっと肘付近にタオルで巻いてあてていた。

仕事は穏やかな感じ。終盤で文章講座。そろそろ佳境。説明しているうちに、自分の中で論理が不整合というか、途中でその論旨の矛盾に気づいてしまったり。でも、それで問題ない。その自分ツッコミ、矛盾と付き合い続けることが文章を書くということだったりする。家電の説明書ではないのだから、人間自身が持つ矛盾とともに葛藤しながら詰めていくしかない。

週末に頼んでおいたAmazon便やらが昼にいくつか到着。

業務終了後は最近流行っている(自分の中で)ストレッチをしばらく。夕食後、軽く腹筋とチューブトレーニング。

これといって本も読まず、音楽も聞かず、無色透明・無味無臭のような一日だった。

筋肉痛イマイチ、文学賞メッタ斬り!、ボディビル・フィットネスの暗い未来

昨日はジム。あまりに疲れて、日記はパスしてしまった。しかしおかげで、睡眠はがっつり取れた。

今日は遅めにこれを書いている。しかし3時とかにはならないだろう。そのような見通しになったら、その時点でその日はやめるということにした。時間があるときに補完できればしたいのだけど。

今日の動画

仕事を終えて、家事をしているときにちょうどライブ配信が始まったので再生してイヤホンで聞いていた。

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面白かった。

仕事

いくつか変わった作業も生じたが、基本的にはほぼ平常運転。終盤で文章講座。明日もやるのだけど、明日とは別のメンバーに。月曜のこのコーナーはほぼ雑談タイムのようになっているが、それもまたよし。雑談でしか出てこない話題がある。そしてすべての話題は文章作法につながる。本当に。生き方や考え方が、その人の文章に表れる。

筋肉痛

昨日は上腕三頭筋と脚をかなりみっちりトレーニングしたのだけど、筋肉痛はさほどではなかった。夕方を過ぎた頃、ようやく膝から上がしびれてきたが、それも想定よりはずっと弱い。追い込みが足りない。やっているときはそれなりに必死なのだが。1日あたりの種目を減らしてもう少し丁寧にやってみてもいいのかもしれない。・・が、すでに結構その調子で、ひとつの器具やマシンを占領しがちなのでこれ以上丁寧にやるべきなのか、やや迷うが。

ボディビル・フィットネス

そういえば最近、とくに考えていたが、そして以前にも書いたかもしれないが、筋トレってかなり面白いが、その成果を見せつけ合うコンテストとなると、ちょっといろいろ問題を感じる。とくに、女性の競技者というのがハイヒールを履いたり、ロングヘア前提だったり、ビキニで肌をかなり露出しなければならかなったり、カテゴリーによっては露出が少ないものもあるが、やはり花形はそのような女性性を全面に打ち出すようなもので、これって誰の趣味なの・・?という感じがする。

この辺りの違和感を小説に昇華したのが『我が友、スミス』で、筋トレにハマった女性がコンテスト出場に向かうにつれて、筋トレによって解放されたはずの女性性という抑圧にあらためて回帰させられてしまう・・というジレンマが描かれている(と読んだ)。

体づくり、フィットネスという分野は現在隆盛を見せているが、その先にはじつに前時代的な価値観が横溢しているように見える。20世紀そのものというか、昭和というか。マシンやサプリやトレーニング法は最新版だが、行き着く先は袋小路というか、薄暗い過去への一本道でしかないように見える。YouTubeとの相乗効果で華やかに展開される男子フィジークの世界も海外で戦うには薬物を使わざるを得ない現実がある。海外のボディビル・フィットネス界ではエクストリームな肉体を見ることが至上命題になっていて、薬物の問題は二の次であるように見える。その意味でも、やはり行き着く先は袋小路なのではないかと思えてくるし、こんな風にのんきに筋トレなんてやっていていいのか?という気にもなる。そういう気になりながらやらなければいけないのでは、という気になっている。