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韓国大統領夫妻による「子供の日」メッセージ動画

韓国にも子供の日があること自体知らなかったのだけど、この日に向けて作られた大統領夫妻による動画メッセージがとてもよかった。

www.youtube.com

去年の春頃から気ままな(これという目的も目標もなく)韓国語の勉強を始めていたので、その勉強もかねて訳してみた。
訳すと言っても、PapagoGoogle翻訳で訳出して突き合わせながら整理しただけだけど。*1

[0:00]

スマホのアラームで目を覚ます子供。スマホの表示は「5月5日火曜日 午前8:00」。
机に移動してPCを開くと、「オンライン授業時間割」。下には「5月5日は子供の日です」という表示。
ポップアップで「お知らせ」と書かれた通知が出てくる。「招待状が届きました」というメッセージ。「確認」ボタンを押すと、「子供の日おめでとうございます。皆さんを招待します」のメッセージ。「 遊びにいく」というボタン押すと、いきなりワープ。他の場所からも同様に飛んできた子供たちと大統領官邸「青瓦台」へ・・。
到着して辺りを見回すと、音楽と踊り。大統領と夫人が出てきて、挨拶が始まる。

[0:49]

文在寅】子供の皆さん、青瓦台にようこそ。私は大韓民国の大統領、文在寅ムン・ジェイン)です。
어린이 여러분, 청와대에 오신 걸 환영합니다. 저는 대한민국 대통령 문재인입니다.

金正淑】私は大統領夫人の金正淑(キム・ジョンスク)です。
저는 대통령 부인 김정숙입니다.

【文・金】子供の日をお祝いします。
어린이날을 축하합니다.

(夫妻が階段を下りて、子供たちのいる場所へ。広場の横断幕は「青瓦台にお迎えした子供の皆さんを歓迎します!」。子供たちの前であらためて挨拶)

[1:07]

【文】今年はコロナ19により、会いたかった子供の皆さんをこちらへお招きしました。
올해는 코로나19로 인해 보고 싶은 우리 어린이 여러분을 이곳으로 초대했습니다

【金】この頃は、マスクをして生活するのが息苦しいでしょう?
요즘 마스크를 쓰고 생활하느라 답답하죠?

【文】ここではマスクを脱いで、友達が笑う姿を見ながら、思いっきり走り回ってほしいです。
이곳에서는 마스크를 벗고 친구들의 웃는 모습을 보면서 마음껏 뛰어놓았으면 좋겠습니다

最近は家にだけいて、とても窮屈だったでしょう。友達にも会いたいし、先生も思い出すし、
요즘 집에만 있으려니 많이 갑갑했을 겁니다 친구들도 보고 싶고, 선생님도 생각나고요

【金】一緒に会えないからちょっと退屈だし、遊び場や運動場で友達と一緒に遊びたいでしょう。
같이 못 만나니까 조금 심심하기도 하고, 놀이터나 운동장에서 친구들과 함께 뛰어놀고 싶을 거예요

【文】オンラインでの始業にも慣れていないでしょう。画面だけで会う先生や友達は、まだぎこちない感じもあります。
온라인 개학도 익숙하지 않았죠? 아직은 화면으로 만나는 선생님과 친구들이 어색하기도 하고요

【金】また、宿題も多いと聞きました。
또, 숙제도 많다고 들었어요

【文】春になったら入学式もして、相棒は誰かな? 新しい教室はどんな様子かな? と気になったりもしますよね。
봄이 되면 입학식도 하고 내 짝은 누구일까? 새로운 교실은 어떤 모습일까? 궁금하기도 하죠?

【金】新しい友達に出会って、仲良くなるつもりでわくわくしていたのに、今年はそれができなくてとても残念だったでしょう。
새로운 친구들을 만나 친해질 생각에 들떠있었을 텐데, 올해는 그러지 못해 많이 아쉬웠지요?

【文】でも皆さんが我慢してくれたおかげで、私たちはコロナを少しずつ乗り超えています。
하지만 여러분들이 잘 참아준 덕분에 우리는 조금씩 코로나를 이겨내고 있습니다

皆さんもTVで見たと思います。看護師、お医者さんたちはもちろん、見えないところで多くの方々がコロナと戦っています。
여러분도 TV에서 봤을텐데요 간호사, 의사 선생님들은 물론 보이지 않는 곳에서 많은 분들이 코로나와 싸우고 있습니다

【金】たぶん今、お母さん、お父さん、お婆さん、お爺さん、先生も同じです。
아마 지금 엄마, 아빠, 할머니, 할아버지, 선생님도 마찬가지고요

【文】大人も皆さんのように、初めて経験するコロナに勝つために苦労していることを知ってください。
어른들도 여러분처럼 처음 겪어보는 코로나를 이기기 위해 애쓰고 있다는 것을 기억해주세요

【金】マスクをきちんと付けて、手を綺麗に洗うのもコロナに勝つ大事な方法です。
마스크를 잘 쓰고 손을 깨끗이 씻는 것 역시 코로나를 이기는 중요한 방법입니다

【文】私たちにできることをしながら一緒に乗り越えたら、私たちはもっと強くなって、皆さんの夢も必ず叶うでしょう。
우리가 할 수 있는 일을 하면서 함께 이겨내다 보면 우리는 더 강해지고 또 우리 어린이 친구들이 가진 꿈도 꼭 이룰 수 있을 거예요

この映像を見る子供たち、一緒にもう少し頑張りましょう。
이 영상을 보는 우리 어린이들, 함께 조금만 더 힘을 내기로 해요

それでは皆さん、中に入ってみましょう。
자, 여러분 안으로 들어가 볼까요?

青瓦台の中へ移動)

[3:25]

【文】この建物は私の仕事をするところであり、お客様を迎える空間でもあります。それで、今日の主人公である子供の皆さんをこちらへお招きしました。
이 건물은 제가 일을 하는 곳이기도 하고 손님을 맞이하는 공간이기도 합니다 그래서 오늘의 주인공인 어린이 여러분을 이곳으로 초대했습니다

子供の皆さん、コロナによる様々な困難にもたくましく、明るく、よく乗り越えてくれてありがとうございます。
어린이 여러분, 코로나로 인한 여러 어려운 상황에도 씩씩하고 밝게 잘 이겨내 주어서 고맙습니다

【金】この時間をきちんと過ごしてくれたのも素晴らしいのに、看護士、医者、先生に応援の手紙を送ったり、お小遣いを豚の貯金箱に貯めて寄付したりした子供たちも多いと聞きました。
이 시간을 잘 보내준 것도 대견한데, 간호사, 의사, 선생님들께 응원편지를 보내기도 하고 용돈을 돼지저금통에 모아 기부한 어린이들도 많다고 들었습니다

【文】皆さんの心が大きな力になりました。子供の皆さん、私たち国民は皆、コロナ19に打ち勝つヒーローです。
여러분의 마음이 큰 힘이 되었습니다 어린이 여러분, 우리 국민 모두는 코로나19를 이기는 영웅입니다

2020年、今日の誇らしい皆さんを、そして私たちを覚えていてください。
2020년, 오늘의 자랑스러운 여러분을 그리고 우리를 기억하세요

【文・金】子供の日を本当におめでとうございます。
어린이날을 진심으로 축하합니다!

(マインクラフト編終わり。以下、実写編)

[4:32]

【文】こんにちは、子供の皆さん。子供の日を楽しく過ごしていますか?
안녕하세요 어린이 여러분, 어린이날 즐겁게 보내고 있나요?

【金】韓国の大切な宝物である子供の皆さん、このように出会うと、もっと多くの友達と一緒にいることができて、さらに嬉しいです。
우리나라의 소중한 보물인 어린이 여러분, 이렇게 만나니 더 많은 친구들과 함께 할 수 있어서 더욱 반갑습니다

【文】この映像が家で時間を過ごす子供の皆さんの力になればと思います。
이 영상이 집에서 시간을 보내는 어린이 여러분에게 힘이 되었으면 좋겠습니다

【金】耐え忍ぶ皆さんがとても誇らしいです。
참고 견디는 여러분들이 너무 자랑스럽습니다

【文】一緒にコロナ19を乗り越えてくれて、ありがとうございます。
함께 코로나19를 이겨내주어서 고맙습니다

【文・金】愛していますよ。
사랑합니다

ハッシュタグ
#2020年誇らしい皆さんを覚えてください
#子供の日おめでとうございます
#2020년_자랑스러운_여러분을_기억하세요
#어린이날을_축하합니다

[5:05]

感想など

泣くかと思った。とにかく褒める、評価を示す、そして共感を伝える。ここで言う「共感」とは、単なる感謝ではない。国民に面と向かうのではなく、その横に並び、共通する同じ相手に対して一緒に立ち向かおうという姿勢のことだ。
そして褒める、評価する、それはもうどこまでも、際限なく褒める。といっても、無根拠にただ褒めるのではなく(たとえば韓国人だから、とか子供なのに、とかではなく)、「あなたがいろいろ我慢してくれたことによって、我々は皆でこの危機を乗り越えようとしている」という現実的な状況を示しながら具体的な成果を褒めている。なぜ我慢しなければならないのか、それをすることによってどんな効果を見込めるのか、というゴールやその道のりのイメージを伝えている。

これはなんだか当たり前のようだけど、まったく当たり前ではないことをすでにぼくらは知っている。だから、「こんなことをできる人たちがいるのか・・」と驚くとともに、自分も韓国の子供たちのようにそれを聞き、あたかも自分が評価されたように感じて泣くかと思った。

ちなみに、この動画ではマインクラフトが使われている。ぼくはそれをほとんど知らないのだけど、仕上がりは見事だと思う。
とくに冒頭の、青瓦台に着いて聞こえてくる音楽、キャラクターたちの踊り。めちゃ良くないですか? ぼくは良いと思った。たった数秒だけど、細かい一つひとつの動きを何度見ても飽きない。子供を本気で楽しませようとする作り手の気概を感じる。
最初に夫妻のキャラクターが話すとき、双方が相手の喋っているのをちらっと見るのもいい。こんなの、ずっと正面を向かせていた方が作るのはラクだろうに、そこで横を向くことによってゲームに命が吹き込まれる。

YouTube同ページに行くと概要欄にいろいろ書いてあるのだけど、どうやらこの動画に使われている素材類は教育目的なら自由に使っていい、という感じらしい。(それぞれの置き場へのURLなども貼ってある)

ああ、まったく。こりゃすごいな。ただ、それだけ。

*1:もし間違いをコメントやTwitterで教えてもらったら、時間のあるときに確認して反映します。ただし約束はできないので、自分のブログとかで修正版を作ってみるのもいいと思います。もしこのページからテキスト等をコピペした場合は、出典としてこのページにリンクしておいてください。

2020年4月の寄付

以下の続編、というか進捗です。

note103.hatenablog.com

先月、2020年4月に行った寄付は以下でした。

団体・主宰 プロジェクト 金額
単発支援
東京アンブレラ基金 ネットカフェ休止要請への対応 ¥5,000
ミニシアター・エイド(Mini-Theater AID)基金 未来へつなごう!!多様な映画文化を育んできた全国のミニシアターをみんなで応援 ¥5,500
継続・年額 1回目
Colabo サポーター会員(年会費) ¥6,000
継続・月額 2回目
ビッグイシュー ビッグイシュー基金 ¥1,000
ビッグイシュー オンラインサポーター ¥1,000
つくろい東京ファンド つくろいサポーター ¥1,000
難民支援協会(JAR) 難民スペシャルサポーター ¥1,500
合計 ¥21,000

たしか前回の記事では「月の上限2万円」みたいなことを言っていましたが、早くも少し超えました。とはいえ、その金額自体はあくまで目安なので、よいとも思いますが。

上記のほか、寄付そのものとは違うけど、少し近い心境で、貢献したいという気持ちから買ったものが以下。

団体・主宰 プロジェクト 金額
大袈裟太郎 moment of the water 行雲流水 香港2019写真集 ¥4,000
本屋B&B 柴田元幸[手書き翻訳原稿 / 短編2編] ¥500
本屋B&B フラワーデモを記録する ¥1,320
合計 ¥5,820

大袈裟太郎さんのことを知ったのは、たしか徐台教(ソ・テギョ)さんの以下のツイートを見たとき。

その後、同じく徐さんの以下のツイートで写真集の存在を知り、しばらくしてから買った感じ。

で、これがたまたま昨日届いて、これから読みます。*1

大袈裟さんのnoteは上記それぞれのツイートからどうぞ。販売サイトは以下。
wob.theshop.jp

トレイラーはこちら。
www.youtube.com

今の日本を生きる上で、この香港の運動は猛烈に参考になる。これだけではなく、台湾、韓国で自由を勝ち取った人々も。香港の周庭さんは以前に何度か「香港人は成長した」と言っていて、日本の人々もまた、望めばそうなれるだろうと思っている。

B&Bオンラインストアは見ているうちにお金が減っていきそうな恐ろしいサイト。(いい意味で)
bookandbeer.theshop.jp

今月は以下に寄付というか支援するつもりです。
motion-gallery.net

その他、寄付するつもりで準備している先が2つほど。これについてはまた月末に。

*1:読んだ。凄かった。

仁藤夢乃著『難民高校生』を読んだ

正味4〜5日で読んだと思う。大変濃密、かつ考えさせられるところの多い良書だった。ちくま文庫版を読んだが、その文庫版あとがき、そして小島慶子さんの解説もよかった。

ただし、このちくま文庫版は電子化されていない。文庫版あとがきまでを含めて一つの作品というか、セットとして読むべきものだと思うので、これが電子化されて誰でもスマホで手軽に読めるようになるとよいのだけど。(実際、読みたいと思ってから読み始めるまで、取り寄せ期間を経て数日かかった)

一方、単行本の方はデジタル化されている。値段も600円程度なので、とりあえず電子版を、という人はこちらを。これだけでも十分に内容は詰まってる。

恩人とも言える阿蘇さんとの出会いは、著者にとって大きなものだったと思うが、大事なことは、その阿蘇さんが必ずしも「すべてを変えてくれた」というわけではない、ということだろう。著者はその人と出会うまでに、自分の人生を変えるために高校を辞め、高認を受験するために河合塾コスモに入り、そこで初めてその人物に出会い、やがて生き方が変わっていく。これは何も、道を歩いていたら突然その人に巡り合ったとかいうことではなく、元々自分で人生を変えようと試行錯誤していたからこそ、その先にその出会いがあったということで、もっと言えばそういう元々の希望、姿勢がなかったら、同じ人に会ってもこのような作用は起きなかった(何も感じなかった、受け取れるものはなかった)に違いない。そうだからこそ、著者はその後にその人がいない場面でも、どんどん自分の道を切り拓いていく。

見方によっては、ここに書かれている数々の行動、実践は、一人の積極的でポジティブで社交的な、生まれつきそういう性質・能力を持つ人の武勇伝のように受け取ることも可能かもしれない。つまり、自分にはこんなことはできない、この人は特別だからこのようなことができるのだ、と。しかし、仮にそうであったとしても、あるいはそうでなかったとしても、それは本書や仁藤さんの活動について語る上で、あまり重要なことではないと思う。重要なことは、本書を読んで、「こんなふうに生きることもできるんだ」と知ること。自らの固定観念を壊して、新たな可能性というか、広がりを得ること。とくには、今この時点で、かつての著者のように苦しい時間を生きている人が、そこから逃げ出す方法を知ること。そういうことが実現しさえすればいいと思う。

本書には、著者やその友人が体験したつらい出来事がたくさん書かれているが、そういうことを書くときには、そのときの気持ちや状況を追体験しながら書くことになるだろうから、それはつらかっただろうと思った。しかしそれらの記述は、同じような境遇にある人たちにとって非常に大きな支えになるはずだと思う。

文庫版あとがきを中心に語られる、虐待に関する記述、およびそれがもたらす負の連鎖に関するくだりも深く印象に残った。本質的というか、根深い問題だと思える。

仁藤さんはTwitterで、Colaboの活動を当事者運動だと言っていたけど、それはそうだろうと思った。本書を読めば、それは言われなくてもわかることだが、その意味でも仁藤さんやColaboの活動を取材しようという人は、最低でもこの本を読んでおくべきだろう。

ちなみに、はじめにColaboの存在を知ったのは、たしか稲葉剛さんの以下の本を読んだときだと思う。

これについては、以下にちらっとだけ書いた。
note103.hatenablog.com

その本を読んで、このColaboという支援団体は非常に意味のあることをやってるな・・と思ってサイトをチェックして、まずはとりいそぎ、という感じでサポーター会員に申し込んだ。

公式サイト。
colabo-official.net

支援関連ページ。
colabo-official.net

今はこれに加えるかたちで、シェルター増設サポーターを検討している。

これを書いている今、Colaboは馳浩議員による同活動の視察における心ない行為のために、とても大変な様子だ。この問題も根は深く、端的に述べるには大きすぎる被害をColaboにもたらしているから、ここで詳しくは触れないが、それでも女性の議員までもが馳氏を養護するコメントを出しているのを読んで、心から失望するとともに、こうした活動が行われることの意義をあらためて感じた。

将来的には、仁藤さんやColaboのような特定の人々や団体のみが頑張るのではなく、多くの人が継続的に、こうした活動に取り組める仕組みが整備されること、また元になる被害自体を減らしていくことが理想だろうが、この国ではまだまだその素地が育っておらず、それが実現するにはしばらく時間がかかりそうだ。
これがいずれ実を結ぶまで、自分なりの仕方で支援を続けたい。

軽い気持ちで寄付してる

寄付なんてするとは思っていなかった。1〜2年前まではほとんど無職のようなものだったし。将来に感じる不安も半端なかった。年金ってなに?という感じだった。それでもぼくは、自分がアーティストのようなものだと思っていたから、いやアーティスト活動はしてないが、精神というのか、んー、ちょっと違うな、出自というのか、自分ではどうにもコントロールできない属性みたいなものとして、どこにも所属できない根無し草みたいなものだと思っていたので、安定なんて得られなくても仕方ないと思っていたが、結果的に会社員になり、他人に寄付、つまり「お金で貢献」できるようになっていたから、してみようと思ってやり始めている。

金額は大体、ひと口千円から5千円ぐらい。毎月継続的にやるものは、千円〜1,500円ぐらい。単発でやるものは5千円前後まで。で、月当たりの上限を1万5千円ぐらいまで、と大体だけど決めている。

先月、2020年3月に行ったのは以下。

単発支援

団体 プロジェクト 金額 URL
わっぱの会 ソーネ基金設立支援 ¥3,720 https://camp-fire.jp/projects/view/241885
江原河畔劇場 江原河畔劇場設立プロジェクト ¥5,000 https://www.makuake.com/project/ebara-riverside/

継続支援(すべて月額)

団体 プロジェクト 金額 URL
ビッグイシュー ビッグイシュー基金 ¥1,000 https://bigissue.or.jp/
ビッグイシュー オンラインサポーター ¥1,000 http://bigissue-online.jp/archives/onlinesupporter.html
つくろい東京ファンド つくろいサポーター ¥1,000 https://tsukuroi.tokyo/
難民支援協会(JAR) 難民スペシャルサポーター ¥1,500 https://www.refugee.or.jp/

今月は現時点で以下に支援してる。

単発支援

団体 プロジェクト 金額 URL
東京アンブレラ基金 ネットカフェ休止要請への対応 ¥5,000 https://congrant.com/project/umbrellafund/1540

継続支援

団体 プロジェクト 金額 URL
Colabo サポーター会員(年会費) ¥6,000 https://colabo-official.net/support/

結果、先月は13,220円、今月は今のところ15,500円(新規11,000+継続4,500)。月当たりの上限を1万5千円にしていると言ったけど、2万円ぐらいまで考えておいてもいいのかも。どうも上限の手前で、対象を吟味しすぎるきらいもあるし。

寄付をするときに、ついつい、相手に「少ないですが・・」とか「ささやかですが・・」とか言いたくなる。でも、それは言っちゃ駄目だ。「そんなことないですよ!」とわざわざ相手に言わせることになるし、何よりそれって、自分を否定している。たとえ自分自身からであっても、恒常的に否定されたら傷つく。傷ついたら、もうそれを続けようとは思えなくなる。だから、そんなふうに自分を否定するようなことを言ってはいけない

千円で相手の役に立つだろうか? まあ、立たないかもしれない。でも、それでもいい。目的は、役に立つことですらない。いずれは役に立つかもしれない、その「いずれ」に向けて今をつなぐこと、今この時点から、その「いずれ」までの間に橋を架け続けることが目的だ。そのためなら、1円だっていい、Twitterでシェアするだけだっていい、ブログに書いてアップするだけでもいい。

ロクサーヌ・ゲイの『バッド・フェミニスト』という本があって、「自分はいわゆるフェミニストとしては劣等生だが、それでも自分なりにフェミニズムについて語ってやる」みたいな話なんだけど*1、寄付するときにはそのことをよく思い出している。

バッド・フェミニスト

バッド・フェミニスト

自分は慈善家としては評価されないかもしれないが、それでも自分なりの慈善活動をする。それでいい。まずは自分のためにする。それがやがて、価値ある成果を生み出す助けになるかもしれない。それでいい、というかそれがいい。

最初にも書いたように、ぼくだってどうなるかわからなかった。ぼくもあちら側にいたかもしれない。かなり、リアルにそう感じる。今もその風景、どこにも住む場所がなくなった自分の姿が、重く湿った、冷たくぬるぬるとした空気に体を包まれる自分の姿が、手を伸ばせば触れられるぐらい、すぐそばに感じられる。だからぼくは、ぼくに支援している。ぼくだったかもしれない誰かに。ぼくやその人を含む、社会全体に。

寄付に限らず、たとえば何かを買うという行為であっても、持っていた金が自分の身から離れていくというのは、それなりにつらい、というか痛い。これまた、寄付をするときにいつも思い浮かべるイメージがあって、それはアンパンマンが自分の顔を食べさせるシーンだ。アンパンマンは顔を食べさせると弱ってしまう。でも食べさせる。なぜだ?それによって、得られるものがあるからだ。身を切るつらさという言葉があるが、それが寄付であっても、たった数百円であっても、金が自分から離れていくときには体の肉が引きちぎられるような痛みを感じる。でも、その痛みにこそ意味がある。命を分けている、という感覚が切実に、具体的に身に生じる。金には血が流れている。ぼくの血が。だからありがたがってほしい、という意味ではない。そんな痛みがあっても尚やるだけの価値がある、だからやっている、と言いたい。

社会がよくなってほしい。困ってる人が助かってほしい。その困っている人は、いつかの自分だ。過去の、あるいは未来の。自分を助けるために、他人を助ける。それだけ。見切り発車で、軽い気持ちでやってる。

*1:と言いつつ全部は読んでないので違うかも。バッド読者・・

批判するなとは言うけれど

頑張っている政府を批判するな、攻撃するな、という声がよく聞かれる。かくいうぼくも同じことを思っていた。もう5年前のことだが。

政府を批判するならば - Hiroaki Kadomatsu - Medium

今これを読み返してみると、いくぶん浅はかだなとは思うものの、基本的な物の考え方はあまり変わっていないようにも見える。変わったのは、考える材料というか、前提だ。前提が違えば、同じ考え方であるなら尚のこと、結果も変わってくる。

では、その前提はどのように変わったのだろうか。それは、この頃のぼくは日本という国の外側に立つ「お客さん」だったということだ。国を動かすのは、それを専門とする政治家や官僚、公務員の人々であって、ぼくは彼らの働く様子を外側から眺める傍観者だった。その内部にはいなかった。

それでいいじゃないか、と思う人もいるだろう。皆がそれぞれの道のプロとして、政治家は政治のことを、そうでない者はそうでない事を、自分の能力をフルに生かしながら、社会に対して最大限効率的に貢献すればいいじゃないかと。ぼくも以前はそう思っていた。でも、間違っていた。

国を動かすのは、国民、そしてその国に住む人々だ。その人々は、皆が皆、自分が乗る船を動かすためにオールを漕いでいる。つまりぼくらは船の乗客ではなく、乗務員、船員だった。

船がどちらに進むのか、なぜそちらに進むのか、どのように進むのか。それを決めるのは、我々船員だ。もちろん皆が皆、自分の欲望の赴くままにそれぞれの方向へ舵を切っていたらどこにも進めない。だから、便宜的に代表者を決めて、その人に船長を任せる。それが本来の政治の仕組みで、しかしその「代表者」という言い方がマズかったのか、あたかも船長が他の船員よりも「偉い」とか、人として「価値が高い」存在であるかのように扱われるようになってしまった。そして、その弊害があちこちに出ている。実際には、船長は「代表者」なんてものではなく、「代行者」に過ぎなかったのに。

国を、社会を動かすために、我々は暫定的に、「政治家」を設定した。彼らに議論を代行してもらい、その様子をチェックする。・・いや、チェックなんてしていなかった。だから、国会で何が起きているのかを知らないまま、どうやらとんでもないところまで連れてこられてしまった。我々の船が、いつから、どうして、こんなにどうしようもないところに流れ着いてしまったのか、ぼくにはもうわからない。わかるのは、それが自分のせいでもあるということだ。

政治家だって人間です、彼らの気持ちをくじくようなことはやめましょう、何もそこまで攻撃的に言う必要はないでしょう、殺伐とした物言いはやめましょう、批判はやめて、建設的な議論をしましょう、責任の追求なんて有害なだけで、今はもっと重要なことに取り組むべきで、反省なんて後で時間のある時にじっくりやればいいし、私たちはそれぞれの持ち場で、自分自身の仕事に集中しましょう。ある人々は、そのように言う。

しかし、それは間違っている。その物言いは、目に見える批判という「行為」だけを対象にしている。その行為がなぜ行われているのか、行為の「目的」、行為の「先」に何があるのかを見ていない。目を背けているのか、見てはいけないと思っているのかわからないが、「なぜその行為が行われているのか」を知らないまま、「その行為は駄目だからやめて」とだけ言っている。

目の前には、枯れかけた植物があり、それに水をやらない人がいる。「なぜ水をやらないのか、かわいそうだ」と言う人がいる。しかしその植物は、すでに水をやりすぎて根腐れで枯れかけているのだ。それ以上水をやったら、本当に死んでしまう。しかし、その「行為の目的」を知らない人は、「行為」だけに目を向けて、「水をやらないのは悪いことだ」と思っている。

歯を磨かずに虫歯になった子供に、歯を磨けと言ったら、泣いてしまった。それを見た人が「かわいそうじゃないか」と言う。そして代わりに、甘いケーキを買ってきて、食べさせてやる。その人は、歯を磨かなくてよくなった、ケーキをもらって喜ぶ子供を見て、自分は良いことをしたと思う。しかし、それがどのような結果をもたらすかまでは考えていない。

「批判はやめましょう」と言えるのは、その行為だけを見ているからだ。なぜその行為をしているかまでは見ていない。すべての「批判をする人」が正しいわけではもちろんナイ。誤った批判、愚劣な批判もあるだろう。しかし同時に、すべての批判が誤っているわけでもない。それはどんな行為にも言えることだ。政府にしたって、すべてが間違っているわけではない。しかし時に、致命的と言えるほどの間違いを犯し、それをまったく反省してもいない。森友、桜、検察人事、年金、種苗、そして466億円の小さな布マスク。・・一体、何をしているんだ。

一例を挙げよう。厚生労働省は3月半ば過ぎに、休校に伴う保護者への助成金を新設し、申請の受付を開始した。

しかしこの助成金では、風俗業などで働く人たちが対象から除外されていて、反発の声が上がった。そして4/2には支援団体から加藤厚労相に改善を求める要望書が提出されたが、翌4/3の段階で同大臣は「対応しない」と言っていた。
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加藤厚労相は3日の記者会見で、雇用を守るための助成金の規定で風俗業などを除外していることについて、「公的な支援措置の対象とすることが適切なのかどうかということで、そうした基準が設けられてきた」と説明した。支援団体の要請については「承知している」としたものの、「取り扱いを変える考えはない」と述べた。

しかし4/7、この方針は変更され、風俗関係者も対象に含まれることになった。
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新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐための休校に伴い厚生労働省が新設した助成金で、風俗業などで働く人たちが対象外とされていた問題で、加藤勝信厚生労働相は7日の閣議後会見で「風俗関係者を対象とすることにしたい」と述べ、風俗業や客の接待を伴う飲食業で働く人たちも支援対象とする方針を表明した。

厚労省が定めた要件では「暴力団員」などと並び「性風俗業」や「接待を伴う飲食業」の関係者を対象外としていた。ネット上などで「職業差別だ」と批判が出て、支援団体「SWASH」が見直しを求める要望書を加藤厚労相あてに提出していた。

ここで問いたい。もしも当初の方針のまま、政府への批判が行われずにいたら、この助成金の対象から外された人々はどうなっていただろうか。除外されたままだったのではないだろうか。それで構わない、問題ない、と言える人だけが「批判するな」と言ってほしい。

ちなみに、「批判はやめましょう」もまた、批判する人への批判である。批判に意味がないのなら、その「批判をする人」への批判もまた無効ということになってしまう。それでいいのだろうか。もちろん、良いはずがない。批判は必要だ。良い社会を作るために。それをわかっているから、「批判はやめましょう、建設的ではないから」という批判をしたくなるのではないだろうか。

批判をしたくなるのは、あるいはそれをするのは、より良い社会を作りたいからだろう。その点では、「批判をする人」も、「批判する人を批判する人」も、同じ志を共有している。その人たちは本来、共同でコトに当たれるはずだ。我々の考え方は同じなのだ。ただ、その考えの材料が違う。前提が違う。異なる前提のもとで同じ考え方をしてるから、出てくる結論が違うのだ。

事実を見よう。科学的に。より多くのことを知ろう。我々は感情の奴隷だ。不安は常につきまとう。そこから逃れることは、人間であるかぎり不可能だろう。幸か不幸か、我々には想像力がある。想像力があるから、不安や恐怖から逃げることができない。しかし同時に、我々は科学を積み上げてきた。あるいは哲学を。もっと多くのことを知ろう。今までそうしてきたように。そして前提を、考えの材料を、より豊かに増やし、互いのそれが重なり合うまで広げよう。

批判をするな、というのもまた批判だ。そのようにして、我々は批判することを必要としている。あとは、その材料になる知識を広げていくだけだ。互いの前提知識が重なるとき、そこで初めて我々は、同じ結論に出合えるはずだ。