昨日買った本
散歩がてら、街まで出て本を買ってきた。ほとんどストレス解消のように・・
閉ざされた扉をこじ開ける 排除と貧困に抗うソーシャルアクション (朝日新書)
- 作者:稲葉 剛
- 発売日: 2020/03/13
- メディア: 新書
- 作者:明石 順平
- 発売日: 2019/12/07
- メディア: 新書
- 作者:澤田 克己
- 発売日: 2020/02/15
- メディア: 単行本
- 作者:伊東 順子
- 発売日: 2020/03/06
- メディア: 新書
- 作者:健一, 常井
- 発売日: 2019/12/16
- メディア: 単行本
すべてJR千葉駅のくまざわ書店にて。この店、棚の組み方が日に日に面白くなっている。以前からそうだったかもしれないが(そんな気もする)この日は最近の森友・佐川氏関連で新聞の切り抜きごとそれ関連の棚を組んでいて、一方では嫌韓的な本も普通にあったりして、逡巡しながらもとりあえずトンガッてる感じがいいなと思う。
カードで支払うとポイントカードが使えないのが不満だが、考えてみたら最近ポイントカードをそもそも使わない方針にしたので、とくに問題ないか。
韓国関連の2冊は以前からほしいと思っていたんだけどなかなか買う機会がなかったもの。そのうち伊東さんの新書はKindleで買おうと思っていたんだけど、紙本と発売日の時間差があったので(Kindleが後から出る)とりあえず紙で買っておいた。Kindle(というか電子書籍)もそれはそれで便利なところはあるんだけど、やっぱりどう考えても情報の吸収のしやすさとしては紙の方が効率いいよな、と最近は思ってる。結局電子本って、スマホであれタブレットであれPCであれ、1個の画面を通してしか情報が目に入ってこない。一方の紙本ではそれがもっと多彩・多様になる。1個の画面ではなく、立体になったり自由に動かしたり。ただしこれ、電子本をある程度読んでみないとわからないことだったな、とも思う。
『無敗の男』はいかにも文春みたいな大手ならではの企画、という感じ。いずれにしても、ある程度は期待を満たしてくれそうな雰囲気だったので買ってみたけど、とくにはオビの文句が良かった。というか、オビを見なかったら買わなかった。そういう意味では、オビって版元的にもやめるにやめられないのかな・・とも思う。(読むには邪魔なので外したが)
いま読んでいる本
前回の記事で紹介した以下をざくざく読んでいる。
- 作者:野間 秀樹
- 発売日: 2014/06/13
- メディア: 新書
全部で350Pぐらいだが、いま270Pぐらい。まだ5日も読んでないので、自分にしてはかなり早い。このところはけっこう出社していたのだが、その通勤時に電車で読んでいたからかも。
家族から、「なんでそんなに韓国語をやっているのかわからない」と言われて、たしかにな、と思った。自分でもわからない。単に面白いから、とも言えるけど、それも実際とは少しズレているような気がする。「いずれ役に立ちそうだから」とも言えるが、じゃあ役に立たないことがわかったらやめるのか、といえばそんなこともない気がする。それがただそこにあるからやっている、というか。目の前には何台もの車が並んでいる。ぼくはその中のどれに乗ってもいい。そしてぼくはその中の一番速そうな、そして乗っていてワクワクしそうだなと思うものを選んで乗っている感じ。
人によっては、「なんでそれなんだ」と思うかもしれない。もっとカッコイイ車とか、燃費がいいのとか、みんなが羨むような車もあるじゃないかと言われるかもしれないが、周りがどう思うかではなく、自分が一番乗っていて楽しそうなのを選んでいる。
かといって、刹那的に今この瞬間さえ楽しければいい、ということでもなく、先にある何かを期待してもいる。それはたぶん、韓国語を母語として話す人たちと頭の中のイメージを交換し合うこと、共有すること。おそらくはそれをぼんやりと目指している。それは「目的」とか「夢」とかのようにはっきり言語化できるものではなくて、何となくそんなふうになったらいいな・・と空気のように感じているもの。
ぼくが今、そのようなことをできる相手は日本語を話せる人たちだけだ。それって、ものすごくもったいないと思える。人生の損失だ。少なくともぼくはそれだけで人生を終えたくない、と思う。
それなら英語だっていいじゃないか、とも言われるかもしれないが、英語にはこのような興味を持てない。なぜだろう。英語にはすでにある程度慣れ親しんでいて、その向こうにあるものを多少なり想像できるからかもしれない。もちろん使いこなしているわけでも、実際に英語で書かれたり話されたりしたことの大半をキャッチできているわけでもないが、それでも韓国語によるそれに比べたら、想像できる部分が多いというか。今までに触れたことがない、その向こうに何があるのか見当もつかないものに触れたい、と多分思っている。