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2019/12/22の記録

コスパのいい人

  • 先日、会社帰りに市ヶ谷駅近くの文教堂書店に寄った。初めて行ったが、大量の本があり、感動した。図書館のようだった。
  • いわゆるチェーン店だから、しょうもない本も多いはずだが、それを補って余りあるほどの良いセレクト、手のこんだ企画、そしてやっぱり分量。
  • 雰囲気もなんだか薄暗く、それは古いからだろうが、でも大学や地元の図書館のようで、居心地がよかった。
  • こういう「良さ」はあまり共感されづらい気がする。この価値は、経営層や地主にもわかりづらいのではないか、とふと思った。新宿ジュンク堂もそういう店だった。今度は福岡ジュンク堂も入居ビルの建て替えにともない一時閉店することが決まっており、再開できるかは不透明らしい。
  • 高い価値を提供しているのに、それに見合う評価を得ていなかったり、サービスの価格が安かったりする状況が少なくなくて、そのような状況に遭遇するたび「コスパがいい」と感じる。でもそれは、必ずしも良い意味ではなく、もちろんそのように感じさせる高い価値を提供してくれる人に対してはリスペクトしかないが、それでも本来の価値に見合った価格になっていないことについては、それがいつまでも続いてほしいとは思えない。
  • 理想的なのは、高い価値には高い価格が設定されて、その価値の提供者に対して過不足のない報酬が支払われることだ。良い書店を作る良い書店員には、相応の評価と高い給料が払われてほしい。このような価値の高さを、上に立つ人ほどきちんとすくい取ってほしい。その責任がそういう人たちにはある。
  • また我々利用者にできることは、コスパがよいならその内容に見合うだけの利用を積極的にしていく、ということだろう。

韓国語書籍2冊

  • その文教堂で買った2冊。どちらも韓国語学習に関するもの。

ドラマティック・ハングル ―君,風の中に―

ドラマティック・ハングル ―君,風の中に―

  • 作者:金 珍娥
  • 出版社/メーカー: 朝日出版社
  • 発売日: 2012/03/24
  • メディア: 単行本
日本人が知りたい韓国人の当たり前

日本人が知りたい韓国人の当たり前

  • どちらも非常に面白い。前者はDVD付きで、以前にNHKのハングル講座で放送されたミニドラマの評判があまりにも良くてDVD化されたとか。もちろん、語学テキストの役割も果たしている。ドラマの内容もよいが、書籍にある文法等の解説も非常にオリジナリティがあり、それこそコスパがいい。関わった人皆の熱意を感じる。
  • 後者もとても良い本。これはKindle版もあり、またaudiobook.jpで音声も販売しているので(といってもサブスクリプションであり、音声データは買えないようだが)それらも一緒に購入した。Kindle版はPDFだったら見送ったが、きちんとリフロー型になっていて、この辺の手のかけ方も素晴らしい。

差別・ハラスメント

  • ここ数日はハラスメントに関わるトピックがTwitterでいくつか話題になった。日本で言うと、何より伊藤詩織さんの勝訴があり、また身近なものとしては、或るIT勉強会でハラスメントに類いするインシデントがあり、また世界的には、JKローリングがトランスフォビアなツイートをしたということがだいぶ話題になっており、これをよく見ていた。
  • JKローリングの話題については、こちらの方の一連の解説がとてもわかりやすかった。

  • これは非常にハイコンテキストな話題というか、対象のツイートだけを見ていたら、英語の壁・ニュアンスということも含めてかなりわかりづらい事象だと思えるが、その辺の解説も上記のツリーに含まれる以下以降で丁寧に説明されている。

  • またこれもその中から辿れるが、なるほどと思える話だった。

  • 実際、マーク・ハミルなどはそのコンテキストを読み取れず、うっかりLikeを付けたら炎上してしまい、「いやそんな意味だとは知らなかった」と謝罪したらしい。英語人ですら読み取れない意図を、今回の件に初めて触れた日本人がすぐに理解する、というのはそれなりに困難なことだろうな、とハッシュタグのいろいろな反応を見ながら思った。(とはいえ半数程度の人は適切に読み取れているようにも感じたが)
  • ちなみに、これほど緻密な論理によるものでないとしても、たとえば上記のIT勉強会で生じるような、無意識のうちに行ってしまう差別についてはこの動画が非常に勉強になる。今でも差別の指摘や受け止め方といったら、最初にこれを思い出す。*1

www.youtube.com

  • それを見ても思うことだが、誰かが無意識のうちに行ってしまっている差別について、「それ、差別だよ」と指摘するのは非常に難しいというか、その指摘を機能させるための高い条件をクリアしている必要があって、一言でいうと「相互の信頼関係」がないとその指摘は効果を発揮しづらい。逆にいうと、そういう指摘を受け入れられる事態があるとすれば、それはたとえば自分が尊敬する相手から言われたときで、しかしそこから関係が離れるほど受け入れることは難しくなり、ましてや攻撃的に、叱られるように、あるいは馬鹿にされるように指摘されてもなかなか受け入れることはできないだろう。
  • 「言ってることは正しくても言い方が間違ってる」とはよく聞く話で、その指摘の目的が「問題を解決すること」なのか、それとも「自分より無知な人にマウンティングを取ることによって充足感を味わうこと」なのか、あるいは「得体の知れぬ『悪』を叩きつぶすことによって自らの心の平穏を取り戻すこと」なのか、よくよく自覚した上で事にあたる必要がある。
  • いかに自分の指摘が正しいもの(世界標準)だったとしても、その声を聞く側がそれを受け入れやすいように、「これは我々が抱えている共通の課題を解決するための指摘なのだ」と、誠実な態度とともに伝えなければ求める効果は得られないだろう。

*1:以前はこれを紹介する秀逸な日本語ブログがあったのだけど、今紹介しようと思って見に行ったら非公開設定になっていた。残念。