103

塚田先生の訃報

  • 朝、連絡があって塚田先生が亡くなったと聞いた。
  • 最初の印象は、ああ、scholaでやり切っておいてよかった、ということだった。寂しさや、痛みを感じるが、後悔はない。校了後に坂本さんのコンサートでお会いしたとき、ご家族にぼくを紹介して、この人は本当に優秀なんだ、と言ってくれた。ああ、伝わっていた、やるべきことをやるべきレベルまでやっていたことを、先生はわかってくれていた、と思った。
  • そのschola(アフリカの伝統音楽)では多くの関係者がいたけれど、坂本さんを除いて、いつも一番早くメールを返してくれるのは塚田先生だった。そしてその内容はいつも厳しく、透き通っていた。鋭い指摘に何度もたじろいだが、言葉に攻撃性はなく、共にこれを作り上げようという気持ちに満ちていたから、ぼくはそのレスを恐れながら、でも楽しみにしていた。scholaは良いものになったと思う。
  • CDのマスタリングはなかなか困難で、なぜなら音源には先生がDATで録ったフィールドワーク録音が多かったから、その中のコレというポイントを切り出すためには、とてもしつこく、どこまでも手間をかける必要があり、そのためのクリエイティブな環境を用意することがまず大変だった。通常は1日で済むその作業を、何日かかけて行った。commmonsのスタッフも粘り強く付き合ってくれた。できるまでやめない、という感じ。ありがたかった。塚田先生と物を作るには、それが必要だった。
  • 先生自身も「これを収録できるとは思わなかった」と言っていた音源を収録することができた。scholaはそれを発売するavex以外の、国内外のレコード会社とライセンス契約を結びながら様々な曲を収録させてもらっているのだけど、この問題の曲(というか録音)は、候補曲をリストアップした先生ですらもうどこで買ったか覚えていないようなカセットテープに入っていたもので、どこの誰が権利を持っているのか、そもそもその権利元がまだ存続しているのかもわからなかった。しかしavexにはとても優秀な許諾担当さんがいて、彼女とぼくとcommmonsスタッフの3人は、小さな、でも密に結びついた、ブランキー・ジェット・シティジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンのようなチームを組んで、普通だったら途中で諦めてしまいそうなその権利元を探し続けて、突き止めて、交渉し、やがてOKをもらった*1。その過程を知らない人から見れば、魔法のような結果ではあったが、ぼくらはただ目の前の1本道を歩き続けていただけで、時間切れになるギリギリまでやめることをしなかっただけだった。それが収録できることを先生に報告して、驚いてもらえたことは、今思えばその取り組みに対する何よりも大きな報酬だった。
  • 制作が終盤に差しかかった頃、坂本さんから、塚田先生への感謝を何らかのかたちでブックレットに残しておきたい、と相談を受けた。塚田先生がいなかったら、この巻はけっしてできなかったから、と。
  • 巻頭にエピグラフのようにその旨を記すとか、奥付に何かしらの記載をするなどの方法も考えたが、最終的には巻末の謝辞のトップにお名前を記すかたちに落ち着いた。
  • 通常、scholaの謝辞には楽曲や資料の提供で協力してくれた会社や個人の名前を記載していて、選者や執筆者のような制作側の名前は入れない。あくまで外部の関係者がその対象だ。加えて、ページの上方には会社名を並べて、その下に個人名を記していく書式を採っているから、トップに個人名を入れることも普通はない。でも、この巻に限ってはそれらのルールを逸脱して、謝辞の最初に「塚田健一」と入れた。ものすごく地味な、言われなければ誰にもわからないような一手だが、様々な気持ちを込めてそのようにした。
  • このようなことをしたのは、10年にわたってぼくが関わった17冊のscholaで、このときだけだ。
  • ものすごいスピード感と、透徹した感性と、未来の人のような革新性と、優しさと、ユーモアのある方だった。文章は緻密で、端正で、柔らかく、独特のフックがあり、読みやすかった。お会いしたときのことを思い出すと、笑っているところしか思い出せない。

【vol.11】Traditional Music in Africa(アフリカの伝統音楽) | commmons: schola(コモンズスコラ)-坂本龍一監修による音楽の百科事典- | commmons

*1:最後に入っているジョン・ブレアリィ氏の録音によるドンゴ独奏。