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身を守るための匿名

体感的に、今後は暴力をともなう差別が今までよりも増えてきそうだという予感がある。

それは今後増加する一方だという意味ではなく、長期的には均衡したり、減少したりもするかもしれないが、しかしこれからしばらくの間はまだ、たとえば今韓国に対して表れている差別的な態度が、少しずつ広がっていくのではないかという感覚があり、その際には今あるような精神的な追い詰め方にとどまらず、実際の肉体的・物理的な暴力が表れてくるのではないかという感覚がある。

*それはたとえば振り込め詐欺が、電話や本人のATM操作等による遠隔操作を通して金銭を奪っていたかつての方法から、まず電話で自宅に財産を持っていることを確かめた後、犯罪者自らが直接家に押し入って物理的な暴力とともに奪い取る方法に移っていったことと頭の中で重なっている。

これまで、そのような差別は、少なくとも表向きには、社会的に許されないものとして認識が共有されていて、だからこそそのような発言をするためには匿名である必要があったが、今後はむしろ、正しいことを言ったがためにそのような暴力を受ける恐れがあり、その際に実名であることは危険性を高めることにつながるから、「正しいことを言う人こそが匿名性を必要とする」という状況が増えてくるのではないか、と予感している。

たとえば香港のデモでは、参加者は皆黒いマスクをして匿名性を保っている。彼らが身元を特定されてはいけない理由は、良識から外れた自らの行為を周りに知られないようにするためではなく、国家から暴力を受けないようにするためだろう。

ぼくは以前、意味のある議論をするためには匿名性は邪魔で、実名である必要はないものの、その人は「交換不能な存在であり、なおかつ生計を立てる手段を把握されている人」でなければ時間を割いてやり取りすることはできない、と思っていた。

しかしそれは、議論の対象が命をかけてまで行うようなレベルの事ではないからそう言えたのであって、身に迫る危険を回避するという観点から考えれば、暴力をふるわない側にこそ、匿名性による安全圏が必要になるのではないか、と思い始めている。