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つねに今が最新型

若者と年寄りの争いは絶えない。若者は社会においてさまざまな面で年寄りに負けているが、若さゆえの魅力とか、新しいものに関する知識とかではもちろん勝っているから、その点で年寄りに対抗しようと考える。

年寄りは自分が一番欲しい若さを日々失っていて、それを持っている若者に嫉妬しているが、そんなふうに言えば負けを認めることになるから、まず言わない。その代わりに、10代の若者に対しては自分の10代の頃の記憶をもとに、20代に対しては20代の頃のそれをもとに、当時の中でも最もパフォーマンスが良かった瞬間の自分と、現在を生きる若者全般の抽象的なイメージとを比べて、いかに自分の方が優れていたかを語る。

年寄りであれ、若者であれ、つねに現在がそれまでの人生で最新型の自分であるから、過去のどんな時点の自分よりも今の自分の方が絶対的に「正しく」生きているのだと思いこんでいる。以前は馬鹿だったが、今はそうではないのだと。そう思うことを繰り返しながら日々を連ねている。

この点においては、若者よりも年寄りのほうがたちが悪い。人間として生きた時間はいつでも年寄りの方が長く、上記のような思い込みがより強くなるからだ。

昨日の自分よりも今日の自分の方がマシだと考えることは悪いことではなく、時に生きることを助けるが、それは自分の中でのみ成り立つ論理であり、他者を含む社会全体の中でも「年寄りである自分の方が若者である誰かよりも優れている」ことにはまったくならないから、「今が最新型である」という思いがそのような勘違いにつながると、多くの人がつらい思いをする。