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写真家の言葉、プロフィール画像の変遷

写真家の言葉

  • 細かいことでいろいろと忙しい。大きな仕事ではないが切れ目なくタスクが続いていて息を抜けない。
  • 息を抜けない、と言いながら息抜きは意識的にしている。写真家の言葉を読む。
  • もう何年も前に買った2冊の本を休憩時間に読んでいる。以前だったらTwitterをあてどもなくスクロールし続けていたようなタイミングで、脱SNSを果たすためにも本に手を伸ばす。

  • 前者の「たまもの」はちょうど文庫化されたばかりのようだった。

  • ある種の写真を見ると、一気に身の回りの匂いや温度が塗り変わるような感じになる。音楽にもそういうところがあるが、稀だ。写真でも稀かもしれないけれど。
  • 「たまもの」をめくるたびに、そういう感覚に襲われる。あるいはそれは、この写真集を初めて眺めた頃の感じを思い出しているだけなのかもしれないが。
  • 金村さんの本にはとくに写真はないが、言葉がやはり詩的で、読んでいると「今」を忘れられる。「今」から離れられる表現になっているところが、この2冊に共通する点だ。
  • たしか以前に中島らもの本を読んでいたら(「頭の中が〜」だったか)、「詩は歴史に対して垂直に立つ」みたいなことを主人公が何度も言うのだけど(何度もではなかったかもしれないが)、そこで言う歴史とは人類が「今」に向かって歩んできた事実の連なりで、また自分個人が生まれてから「今」に至るまで歩んできた記憶であり、一方の詩はそれを切断するように、というかそれとは関係なく、というかそういう感じで存在している。そういうふうに、その中島らもの本を読みながら解釈していた。
  • お酒を飲んでも、タバコを吸っても、賭け事をやっても「今」から離れることはできるかもしれないが、そういうトリガーの一種としてこれらを読んでいる。
  • しかしそう考えると、今そういう状況なのだろうか自分、大丈夫だろうか、とも思ってしまうが。

プロフィール・アイコン

  • 少し前に家族に撮ってもらった写真がいい感じだったので、各種のWebサービスでアイコンに使っている写真をそれに順次変えている。
    • はてなは一昨日ぐらいに変えた。
  • これを機に、他人にはなんのメリットもないがこれまでのプロフィール写真をまとめてみた。

gyazo.com

  • 写真上の年数はあくまで目安。そのぐらいの頃から使っていた、あるいはそのぐらいの頃に撮った写真、という程度の意味。
  • アイコンの写真、顔を出すなら最近のものであるほど意味があると思っている。古いものだと、実際に他人と会ったときに驚かれるというか、少なくともそれで良い印象を持たれるということはないだろう、と。
    • だからといって「古い写真のままだと悪い印象をもたれる」と言いたいわけではなく、ただ最近のものに比べて利点がないということ。
  • プロフィールに自分の顔を出す利点については、@Nさんのブログで書かれていたのだけど、今検索したらもう見れないようだった。残念。
  • いずれにしても、そのように「アイコンに顔写真を使うなら最近のものほど良い」とは思いながらも、そもそも写真を撮られる機会がそうそうないので、結局古いものをずっと使わざるをえない状況が続いていた。
  • 上の写真のうち、2009年としているものは、2008年に出版された『大谷能生フランス革命』という本の刊行記念イベントみたいなものが渋谷で開かれて、そのときに友人の@yamatoさんに撮ってもらった写真からトリミングしたはず。
  • 同イベントについては今なおアップリンクのサイトで見ることができる。アップリンク、こういうところで底力を感じる。*1
  • その右隣の2014年としているものもイベントに出たときのもの。2013年のお盆に池袋ジュンク堂でやった以下のイベント。

www.youtube.com

  • この頃もずーっとプロフィール写真変えたいと思っていたのだけど、あまりにもナイのでこの動画からキャプチャしたのだった。
  • つまり何らかのイベントにでも出ないとアイコンが変わらない。
  • ということで、じつは今回も3月に登壇したYAPC::Okinawaで写真を撮ってもらっていたので、そちらが出てきたら変えようかと思っていたのだけど、その前に身内からいいものが出てきたのでそれにした。
  • とはいえ顔写真アイコン、あまりコロコロ変わっても、アイコンとしての利便性が落ちるとは思っている。基本的には他人に視認してもらうために使っているわけで、ひと目で「あ、あの人だ」とか思ってもらうことが目的なので、他人の頭の中で「存在」と「アイコン画像」が紐づく前に変わってしまうと目的を果たせない。
  • その意味では、これまでたまたま数年単位で変えてきたわけだけど、そのぐらいでちょうどいいのかもしれない。

*1:10年前のニュース記事を当時と変わらぬ(あるいはそれ以上の)見やすさ、アクセスのしやすさのまま見れるサイト、他にどれだけあるだろうか。