103

客観的な視点を共有する

A地区に住む人々は地区の外へ一歩でも出たら体が溶けてしまう。

あるとき、A地区の住民とB地区の住民が一緒にハイキングをすることになり、目的地であるA地区の丘まで皆で歩いていたら、A地区の住民であるXが急に腹を押さえて、トイレに行きたいと言い出した。

幸い、そこから数十メートル離れたところにコンビニがあり、それを見つけたB地区民のYが「コンビニがあるから、あそこに行こう」とXの手を引いて連れていこうとしたら、A地区民のZがそれを止めて、「行ってはいけないんだ。あそこはC地区だから」と言った。

Zはそこから数百メートル離れたA地区内の公園にトイレがあることを知っていたから、そこへ行けばいいとXを送り出した。

YはA地区民の体の問題を知らないはずはなかったが、自分の提案が目の前で却下されたことに加え、以前に「A地区とC地区の住民は対立している」という噂を聞いたことがあったから、頭に血が上って「そんなくだらないことにこだわってる場合か!」と憤りを覚えた。

Zとしてはもちろん、トイレに行きたいぐらいのことでXの体が溶けたら困るからそれを阻止したわけだが、Yはそのことに思い至らないまま、Zを愚かな人間だと思っている。

これは極端な例だが、現実の世界にはこれのもっと微妙なバリエーションというのが無限に近く存在している。

そのような場合に必要なのは、客観的な視点を共有することだろう。

ZはYよりも客観的な視点を持っていたから、仲間の体が溶けることを止められたけど、Yに見えていたのは苦しそうなXと、目の前のコンビニだけだった。

Zが(あるいは状況を理解している他の誰かが)Yに助言してあげられればいいのかもしれないが、「全体を見る」とか「客観的な視点を得る」みたいなことを他人から教えてもらう、なんていうことがどれだけ可能なのかはわからない。

ある種の行為を完遂するためには、客観性を捨て、地べたを這い回るように集中的にそれをしなければならないこともあるが、それだけの集中力と労力をかけてやったことが無駄にならないかどうか、言い換えれば「正しい方向に向けて行われているかどうか」を知るには、やはり客観的な視点が必要になる。

それは高い場所にのぼって、町全体を見下ろしながら、町のどこに何があるのかを把握することに近い。
そのようなときに、仲間も同じ高さまで来てくれれば話をしやすくなる。

  • 一番近いトイレはあのコンビニにある。
  • でもあれは地区外だ。
  • じゃあ公園に行くのがいい。

みたいなことを、その見晴らしのよい場所から指をさしながら確認していけると効率がいい。