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「リライト」と「剽窃」を分けるもの

「リライト」とは何か

  • キュレーションメディアの騒動において、「リライト」という表現がよく聞かれた。
  • その意味としては、「他人が書いた文章を、内容はほとんど変えず、細かい表現を書き換えることによって、自分の文章にしてしまう(元の著者の形跡を消してしまう)」という行為を指すようだった。
  • しかし通常、というか少なくとも僕にとって「リライト」というのは、本人がやるのであれ、他人がやるのであれ、「文章をより良くするためにその一部または全体を書き直すこと」であって、少なくともその過程で「執筆者の名義が変わってしまう」などということは意味しない。
  • キュレーションメディアの運営において行われていた「リライト」とは、元の執筆者の著作権・名義・匂い、といったものを消すための行為であって、これは文章を何度も洗浄(ロンダリング/laundering)する様子を想起させることから、同様に「資金を転々と移動させることによりその出どころをわからなくすること」を意味する「マネー・ロンダリング資金洗浄)」にならい、ここでは便宜的に「テキスト・ロンダリング」と名付けておきたい。
  • 上述のとおり、文筆業の世界では通常、「リライト」と言えば執筆者が同一であるという前提で行われる行為だから、執筆者が変更されてしまう前提の「テキスト・ロンダリング」を、「リライト」と呼ぶことには違和感がある。

目的の違いがもたらすもの

  • より踏み込んで考えるなら、前回の記事にも書いたとおり、執筆を職業とする人はほとんど誰もがそうした「テキスト・ロンダリング」に類する行為をしているとは言える。かつて誰かの書いた文章をまったく参考にせず、依頼された原稿を書くなどということは、不可能とまでは言わないまでも、相当に困難か、あるいは事実の調査を行わないという意味で無責任か、そのどちらかだろう。
  • では、そうした一般的な「他人の書いた文章を素材として自分の文章を書くこと」と、上記の「テキスト・ロンダリング」との違いは何かと言えば、前者が「素材にした情報を踏まえて、新たな内容を生み出すこと」を目的とするのに対し、後者は「原著者の形跡を消し、自らの文章として発表すること」を目的としている。
  • 何であれ、「行為」というものは「目的」と結びついて、初めて「意味」を持つ。
  • たとえば「棒で叩く」という行為そのものは特定の意味持たないが、「音を鳴らすために・太鼓を・棒で叩く」なら「楽器の演奏」という意味が生まれるし、「心身を傷つけるために・他人を・棒で叩く」なら「暴力」という意味が生まれる。
  • それと同様に、「他人の書いた文章を素材にして自分の文章を書く」という行為そのものに特定の意味はないが、「新たな内容を生み出すこと」を目的とするのか、「原著者の存在を消し、自らの作品として発表すること」を目的とするかによって、その行為がもたらす意味は大きく変わる。
  • 「原著者の存在を消し、自らの作品として発表する」という行為に「リライト」という名前をつければ、それまで社会の一部で通用し、承認されてきた、従来の「リライト」という言葉がもつ意味やイメージを、それは横から奪い取ることができてしまう。
  • 実際にキュレーションメディアの界隈で「リライト」と称して行われていることは、「著者の名義は変えずに、文章をより良く書き換えること」ではなく、「他人が書いた文章から原著者の名義や権利を剥ぎ取り、自分の文章として世に発表すること」、つまり「剽窃」を目的とした行為だから、当事者が無自覚だとしても、その二つの違いを示すこともなく、同じ名前をつけて語ることには、不適切さを感じる。