103

2016-09-01 Thu: 苦手なものが減る過程

  • 今日木曜の作業時間は7:15:46。先週はこのぐらいから4時間台にペースダウンしていたけど、今週はどちらかと言うとのぼり調子。まあまあ集中できている。
  • ただし、成果はかんばしくない。いたずらに時間が過ぎていく。焦る。ストレスが高まっている。
  • 対策は・・? ない。我慢して続けるしか。
  • 昨日に続きscholaの話。
  • 今作っているのは16巻目。クラシックにポップス、民族音楽と地域も時代も性格もバラバラの音楽を幅広く扱うこのシリーズに携わってまる8年半経った。
  • さぞかし音楽に詳しくなったでしょ? と思われるかもしれないがまったくそんなことはない。
  • ぼくというコップの大きさは8年前から変わっておらず、その器の「中身」がただ毎回入れ替わっているだけである。
  • 前のぶんを捨てなければ次が入らない。自分では捨てているつもりなどないのだけど、時間が経つとすっかり忘れている。
  • ちょっと調べる必要があって過去に編集した座談会などを読んでみると「こんな内容だったっけ〜・・」という感じになる。いつもなる。
  • だから詳しくない。そもそも覚えていない。
  • 言うまでもなく毎回真剣に作っている。おかげで髪も随分白くなったし、薄くもなった。全部scholaのせいである。
  • いや、8年半という月日のせいかもしれない。
  • ただ、全部忘れているとしても、かつて自分という器の中に入れたそれは、二度と苦手なものにはならない。
  • ふたたびコップに喩えて言えば、そのコップには以前入れた飲み物の匂いが残っている。こびりついている。
  • なにしろ半年とか1年とか、毎日毎晩同じコップで同じ飲み物だけを飲んでいるようなものである。すでに液体は一滴も残っていないが、その匂いはかすかに、しかし確実に残っている。
  • クラシックも、ジャズも、ベートーヴェンも、現代音楽も、アフリカや、日本の伝統音楽も、だからもう怖くない。
  • たとえば日本の伝統音楽。もし今、三味線や浄瑠璃や能の専門家が突然目の前に現れても、それなりに対応できると思う。ぼくはいまだにそれらの素人だが、もう「自分が何を知らないのか」を知っているから。
  • ジャズもクラシックも現代音楽もそう。ぼくはそれらを、その等身大以上には恐れていない。それが「どのようにすごいのか」について、詳細は知らないながらもアサッテの方向には認識していない。
  • それまでの人生で一度も魚屋に行ったことのない人は、魚屋で「どんな野菜を売っているのだろう?」と想像してしまう。魚屋で売っているのは野菜ではなく魚である。素人とはそれを知らない人である。
  • そのようにして無用な苦手意識を減らしてきた。あくまで結果的にであって、それを目的としたわけではないが。
  • 2013年からプログラミングの勉強を始めて、同夏にYAPC::Asiaに初めて参加し、それをきっかけにPerl入学式という有志のプログラマーたちが運営する無料のプログラミング講座に通いはじめた。
  • ぼくは不良メンバーで最近はほとんど現場に顔を出さなくなったが、Perl入学式のおかげでまた一つ苦手意識が失われた。コンピューター関係の何が難しいのか、そのうちの何を自分が知らないのか、以前よりはわかっている。
  • 去年の春からは簿記の勉強を始めた。2級には落ちたが(2回)、3級には受かった。
  • 以前から金の計算が苦手で、それは自分が金に関心がないからだと思っていたが、そうではなく計算ができないことを実感したくなかったからだった。
  • 今は源泉徴収の額も積極的に検算している。数字は曖昧な解答を出さないことがわかったから。企業の決算書を見ながら実際に電卓を叩き、報告どおりの数字が出てくるとけっこう驚くが、べつに驚くことではない。
  • これはプログラミングにも通じる。おかしな結果が出たら、プログラミングの途中に必ずそうなる理由が潜んでいる。
  • あらゆる分野を克服することが人生の目的ではないが、苦手なものが減るのは悪いことではないだろう。