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2016-08-23: シームレスに仕事を始めない・所属する組織とは関係のないツイート

  • 今日は随分作業をしたはずだが、計測するとトータルで5時間をちょっと超えるぐらい。休憩時間を厳密に外しているので、けっして少ない時間ではないが、普段は7時間を超えることもあるし、そういう場合に比べても変わらないか、それ以上ぐらいに疲れているのでなんだか奇妙だ。普段と比べて他のことを多くやっていたわけでもないし。
  • 厳密に作業時間を記録し始めたのは先月の末なので、もうすぐひと月になる。Googleスプレッドシートを使っている。
  • それと同時に始めたのが、「これからやる作業を宣言してから、それをやる」という習慣である。だからそれを始めてからもほぼひと月になる。
  • Twitterにも書いたことだが、これってテストファーストに似ていると感じる。コードを書く前にテストを書く。作業を始める前に「これから何をやるか」を宣言する。
  • シームレスに「休憩時間」から「作業時間」へ移動しないようにする。それをやってしまうと、結局「思いついた順」に作業をすることになる。行き当たりばったりの、無計画な作業をすることになる。
  • 無計画な作業がプロジェクトに何をもたらすか。もちろん、作業の遅れであり、リスケであり、デスマーチである。
  • 人はなぜ適切な見積もりを行えないのか? なぜ計画したとおりに作業を進行できないのか? その理由は大きく二つあると思う。
  • 一つは、そもそも人に未来は見通せない。過去をもとにいくらかなりの確率で予測することは可能だが、そのまま当たることはない。
  • 第二に、人は計画したとおりに行動しない。具体的に言えば、計画したことをやる前に(あるいはその代わりに)別のことをやってしまう。だから元々やるはずだったことがどんどん後回しになる。となれば、計画通りにことが動くはずもない。
  • なぜ人間はそんなふうに生きてしまうのだろう? わからない。それでも何とかなってしまう程度にはすでに恵まれているからかもしれない。
  • 計画通りにことを行わない人は、そんなことをしたらどうなるのか、想像していない。だから、頭に思い浮かんだ順に行動してしまう。それがつまり、「シームレスに作業を始めてしまう」ということだ。
  • 毎回作業をする前に、これから何をやるかいちいち宣言するなんてあり得ない、そんなことやっていたら作業が遅れてしまう、と思う人もいるかもしれない。
  • たしかにそれがそぐわないケースもあるだろう。しかしこんな場合はどうだろうか。
  • 100キロ離れた場所へ行くために車を出そうと思ったら、ガソリンが足りないことがわかった。じゃあスタンドに寄って給油してから行こう、と言ったら、「そんな時間はない。もう歩いていくから車なんていらない」と、給油する時間を惜しんで徒歩で出発してしまう。そんな無謀で無計画なことが、現実のプロジェクトでも起こりがちではないだろうか。
  • ぼくは自分をかなりせっかちな性格だと思っているが、その性格のまま動いたら大変な損をすることになるとも思っている。すぐに徒歩で向かいたいところだが、給油の遠回りをしてでも車で移動したほうがいい場合には、そうしたい。
  • 以前から不思議に思っていたが、よくTwitterなどで「私のつぶやきは個人の見解であり、所属する組織とは関係ありません」みたいなことをプロフィールに書いている人がいるが、あれって何か意味があるのだろうか。
  • そういう記述をしている人が悪い、ということではなく(友人や尊敬する人にも書いている人は多い)、ただ思うのは、そんなことを書いたところでその人がその組織に所属している以上、その人とその組織とを結びつける人はいるのであって、それをそんなラフな一文で否定できるはずがない、ということだ。
  • 「私がそう書いたのだからそうなのだ」と言うのは自由だが、「お前が思うならそうなんだろう、お前の中ではな」と言われて終わってしまうぐらいには頼りない論理である。
  • いかに個人として発言している自覚であっても、A社に属しているのであれば周りはA社のその人だと見る。本人がそれをいくら否定したところでまったく意味がない。問題は本人がどう思うかではなく、まわりがどう感じてしまうのか、ということだからだ。
  • ただし、有効性をまったく見いだせない、ということではない。そもそも誰がどのような組織に属しているのか、ということを気にするような人は、そうした一文を見て「ああ、所属する組織とは関係ないのか。じゃあいいか」と思うような人でもあるのかもしれない。
  • あるいは所属先の会社から、そのような一文を付するよう言われているということもあるかもしれない。
  • しかしそうした要素とは別に、「それって意味あるのかなあ」とはよく思う。