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今日のできごとを翌日に書くテスト: ブログの更新について・簿記

  • どうも最近はブログを書くのがおっくうである。Twitterにはそこそこ投稿しているが、あれはやはり投稿のしやすさが大きいのだろう。文字制限の良さもあるとは言えるが、何よりMacクライアントで数秒で投稿できてしまう、というのが大きい気がする。ぼくはショートカットを設定して、オプション+シフト+スペースキー同時押しで投稿欄が出てくるようにしている。
  • 日々考えていることはいろいろあるが、わざわざブログの編集画面を開いて書こう、とまで思うほどのことでもない。だから書かなくなる。それはそれで問題ない。べつに誰も困らない。
  • 逆にというか、これはブログに書いておきたい、ということも時々は出てくる。最近書いたのはこの辺。

note103.hateblo.jp
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  • しかし、これらを書くのは大変だった。記事1本につきドラフトだけで1時間半〜2時間。その後、公開するまで及び公開してからもそれぞれなんだかんだで数時間かけていると思う。
  • いつもそうなのだが、一回最後まで書いてからも何周も読み返しながら直している。しかしまったく、なんでそんなことしているのだろう? 自分。不明である。
  • 「不明である」といいながら、実際にはまったく不明ということでもなく、結局自分の存在証明のために、ということなのだとは思う。
  • Twitterでいろいろ書いてもそれに近い何かを得られるのだけど、やはり見返りが薄いというか、小さな投資からは小さな恵みしか得られない、ローリスク・ローリターンな感じがある。
  • 時間をかけて、「今自分が何を考えているのか」ということを煮詰めて書いてみると、それまで簡単には手に入らなかった自分の中の「核」みたいなものが手のひらに残り、それを他人に「ハイ」と渡せるようになる。
  • それはいつも僕の中にあった、僕そのものなのだが、しかし普段は外に取り出せない「何か」なのだ。
  • その「何か」を取り出すことにはやはり意味があって、それは砂の山からわずかな砂金を抽出し、それをさらに醸成して金のカタマリを生み出すことに似ている。
  • とはいえ、まったくの無償でやるのはやはり大変で、何しろ通常の業務だって毎日何やかやとあるところ、休み時間を削ってそういうことをやるのってどうなのか、不明とは言い切れないがやはり不思議という感じはある。
  • そういえば、おとといぐらいから簿記の勉強をじわじわ再開しはじめている。再開というより、まだ再開の準備、という程度のことだが。
  • 昨年の4月から勉強を始めて6月に3級に合格し、その後11月と今年の2月にそれぞれ2級の検定で落ちてしまった、その簿記である。
  • ちなみに11月のほうは38点、今年2月のほうは60点だった。合格基準点は70点なので、後者は惜しいと言えば惜しい。しかし後悔できるほどの惜しさでもない。明らかに届いていない。
  • ただ、もし第3問に精算表の問題が出ていれば、うかっていたのではないか、とも思わずにはいられない。そのぐらい精算表には自信があったから。
  • なんとなく、意味や内容はなくても日記をコンスタントに書きたいなあ、という気持ちに少しなってきたのでその取っ掛かりのようにバラバラと書いてみた。