103

勉強と私

本日は簿記2級検定を一週間後に控え、公開模試だった。結果は54点。
合格基準点は70点なので、16点足りない。

というかまあ、本番ではないのだから、精神を安定させるには80点台は欲しいところ、これではあまりに不安である。

とはいえ、前回の検定(昨年11月・2級初受験)ではそれどころではない低得点だったので、多少は実力も上がっている。少なくとも悪くはなっていない。

自宅で過去問を解いているときには、基準点を上回ることもあるので、もう少し行けると思っていたが、場の雰囲気が違ったり、あとはやはり制限時間に対する厳しさとして、どうしても自宅では甘くなってしまうのだろうと感じる。

圧倒的に足りないのはスピードで、時間をかければ順を追って解いていける問題も、限られた時間内では終わらない、解ききれない、間に合わない、という状況になった。

上記の通り、もっと行けると思っていたが、一週間前でこれだと、本番もだめかもしれない。
気弱になっているというより、客観的にそう捉える方が自然だとは思う。

工業簿記は過去問だとパーフェクトを取れることが何度かあって、得意意識を持ちつつあったが、今日は惨敗だった。そのぶんというか、何が苦手なのか少しはわかった気もする。

商業簿記も、何が駄目で何が比較的得意かというあたり、つまり今後どこを強化していけばいいか、ということはわかった気もする。

とはいえ、今後の時間内でどこまでやれるだろうか。

ぼくは小中学校では成績が良かったので、テストの問題をぐんぐん解ける、なぜ周りの子はこれがわからないのだろう? という感覚を体で覚えている。

ぼくの成績が良かったのは公文式を小さい頃からやっていたからで、とくに算数の先生の教え方がうまかった。問題を解くのが、ただ楽しかった。鶴亀算とかいって、図を書いて何度も解いたものだった。

高校の数学は学校の先生と気が合わず、まったく興味を失った。中1で高1の数学を、公文式ではやっていたけど、公文式はその辺でやめてしまったので、高校の数学の授業では新たに学ぶ内容が多く、そのすべてに対して楽しさを感じられなかった。ぼくから見て、その先生はわがままな生徒たちを嫌いであるようだった。

ぼくは勉強ができない、問題が何を求めているのかわからないまま時間が過ぎていく、という感覚を持ったのは、本格的にはその頃からだったのではないか。「問題の意味がわからない」というのは、何しろ手強い敵である。

私立の美大には二浪して入ったけれど、最初に落ちた年、たしか東京造形大学だったような気がするが、学科(絵ではない国語や英語など)のテストを受けながら、「あれ、なんだこの問題、全然わからないや」と思ったことを覚えている。
ぼくには小中学校の頃に勉強ができた、という得意意識だけが残っていて、その後のできなくなった姿や経緯を都合よく忘れ、その受験までにほとんど学科の勉強をしていなかったのだ。

いま簿記の勉強をしていると、その「ぐんぐんわかる」感じと、「何を聞かれているのかわからない」感じとが、交互にやってくる。
3級の勉強では前者のほうが比較的多く、幸い1度の受験でクリアできたが、結果的にはそのせいでまた、「やればできるのだ」という得意意識だけが残って、その後に本来やるべきだった勉強・努力をしてこなかった、ということかもしれないとも思う。

ぐんぐんわかる、という感覚は、あたたかい風呂につかるような感覚だ。何を聞かれているのかわからない、という感覚は、裸で寒空の下に放り出されるような感覚だ。で、それを繰り返している。