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問題は具体的に検証されなければ再発する

少し前に国会議員の甘利氏が、秘書が悪いことをしたとかで大臣を辞任した。昨日見たニュースでは、丸山議員が失言をして批判されていると言う。

しかしいずれにしても、批判するのであれば実際に何が起きたのかを可能なかぎり厳密に把握してからでないと、その評価は過小か過大のどちらかにしかならないだろう。

丸山議員のそれについては、昨夜のNHKニュースウォッチ9で少し見たが、発言の刺激的な部分だけが切り貼りされていて、なんだか飲み屋でくだをまくような妙なノリで言っているなとは感じたけど、少なくとも前後の文脈がわからない状態では何とも判断がつかない、と思った。

あえて注目を引くように、煽るような言い方をしたら失敗したということかもしれないし、あるいはその切り貼り編集を通して得た印象以上にひどいことを言っていたのかもしれないが、いずれにせよ、この程度の限定的な情報をもとに批判をすれば、「本当に何が問題だったのか」を特定することはできなくなる。

民主党他の野党はこの件で同議員の辞職を求めているらしいけど、もし文脈を無視した評価をもとにそれをやったら、今後は自分たちも同様の不自由さを被る可能性が高まるわけだが、大丈夫なのだろうか。(ぼくは党としては消極的民主党支持なので心配ということ)

甘利氏についても同じことで、とりあえず何でもいいから大臣から引きずり下ろせ、ということだと(そういう印象を持っている)、結局「誰が何をしてその何が問題だったのか?」ということがウヤムヤになってしまう。

というか実際、現時点では甘利氏は「潔くやめた」みたいなイメージを持たれているふしすらあるようで、これは奇妙だ。
僕から見ると同氏は逆ギレ的にというか、当てつけのように「本当は自分は悪くないけど」とアピールしながらやめたような印象があり、少なくとも美化するにはあたらないように思うのだけど。

その後の国会中継をたまたま見ていたら、民主党岡田氏から、甘利氏の辞任の影響について問われた安倍総理が「あんなに頑張った甘利氏の悪口を言うな」みたいな、これまた逆ギレ的な答弁をしていて、おいおい大丈夫か、とこれは別の意味で心配になった。
職をやめなければならないほどの問題を起こしたことを、そこまで無視するのはさすがに問題だと感じる。

で、それもこれも結局、その問題に関して「誰が何をしてその何が問題だったのか」が明確にされていないことに原因があるのだと思う。
実際に起きたことよりも極端に(過小または過大に)問題を扱っているから、いつまでも意味のある話にならない。

意味のある話ができなければ有効な検証も対策も行われず、同じ問題は再発しやすくなる。

結局、誰もなぜ甘利氏がやめて、なぜ丸山氏が批判されているのか、本当のところは知らないまま時間が過ぎ、同じような経緯を辿って同じようなことが起きるのだろう。