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泣いて謝るまで許さない

前回書いたことの少し続き。結城浩さんが言っていたことに似たことを考えていた、と前回書いたが、今回は「恨みながら生きるのはやめよう」の方。

以下の記事でYAPC::AsiaやISCONの実行委員をされていた941さんがいいことを言っていて、本人が言いたかった主題からはやや外れるかもしれないが、

細かいこと気になるタイプなんで、日々嫌だなぁって思って生きてるんでしょうねきっと。「俺いまこの瞬間すごい嫌だ」って思いながら。そういう機会多いんで。

http://blog.kushii.net/archives/1974584.html

ほんとそれ、という感じ。(幹事だけに)

僕もいつも不満タラタラで、何も見ても言われても「そういうことじゃなくってさあ〜」とばかり思っている。口うるさいというか、クレーマー体質というか、いつも周りにマイナス評価というかバツをつけてまわっているようなところがある。

で、だからこそというか、自分が他人に何かするときには「こんなことされたら嫌だろうな」とか、「こんな説明じゃ意味わからないよな。ここから順を追って説明しないとな」とか、過剰かも、と思うぐらい誤解の余地を減らそうとしてしまう。

それは自分の良い面であるとも思うけど(実際今やってる仕事はそれじゃないと出来ないだろうし)、そうは言っても普段から何を見ても不満がつのる、というのはなかなかツライ。

それに何より、自分がつねに周りの不満を先取りして、他人がなるべく不満を感じないように立ち回っているつもりになると、それをしていない無神経(に見える)で雑な(雰囲気のことをしている)人を許せなくなってしまう。

自分が一生懸命作った砂の城を、それと知らず思いっきり破壊してウキャキャ、と喜び何もなかったように向こうに走り去ってしまう無垢な児童のような、悪気はないんだけど周りへの気遣いもないような人を許せなくなってしまう。

あるいは誰かに対して「仕事に愛情がないな・・」とか「なんて不誠実なんだ・・」とか感じるともうそこでドヨーンと落ち込んでほとんど感情がシャットアウト状態になってしまったり。

しかし最近になって、もうそういうことで憤りを感じたり、相手が泣いて謝るまで許さないとか思ったりするのは、そろそろやめてもいいんじゃないか。休んでもいいんじゃないか自分、みたいなことを思い始めていたところだった。

仮に僕が「謝るまで/方針を変えるまで許さない」みたいにしたところで、大抵のそういう相手は変わりはしないのだ。と、学びが積み上がってきたせいもあるかもしれないが。

そのような叶うあてもない願いを四六時中抱え続けて、感じ悪かったり怖かったりする人間として生き続けるよりは、もう少し大らかにリラックスして生きていくことで、今まで自分からシャットアウトしていた扉を解放し、そこから新たな何かが入ってくるとか、あるいは出す予定もなかった&誰かの役に立つかもしれない倉庫の在庫を放出していくきっかけになるのではないか、とか。そういうことをぼんやり考えている。