久しぶりに考えがいのある論点だと思った。
重要なことなのでもう一度。私は浦和ファンであることを、無期限で停止します。悔しい。Jリーグには強い処分を願う。→G大阪FWパトリックがSNS上で人種差別の被害者に。本人は悲痛な想いを吐露 (フットボールチャンネル) - https://t.co/f0AZILX1U1
— 星野智幸Tomoyuki Hoshino (@hoshinot) 2015, 11月 29
でもこれは、日本の社会で起きていることが、サッカーでも起きただけ。日本の社会で、差別行為ヘイトスピーチに対し、触らないでおこうとといった態度で見て見ぬ振りをしてきたことの、一つの結実。これを許せないと思うのなら、サッカーの外で野放しにされている差別に、もっと積極的な抗議をしよう。
— 星野智幸Tomoyuki Hoshino (@hoshinot) 2015, 11月 29
そしてやはり、人種差別禁止法やヘイトスピーチ規制法は絶対に必要です。これが人を深く根源的に傷つける暴力であることが認識されないから、見て見ぬ振りが標準的な態度になる。
— 星野智幸Tomoyuki Hoshino (@hoshinot) 2015, 11月 29
パトリック選手は今回、ツイッターのメンションで差別の言葉を送りつけられ、「どれほど悲しいかは神様にしか分からないです」と表現した。その傷の深さを思うと、本当につらくなる。このようなメンションを毎日、大量に送りつけられている人がたくさんいるのが今の日本だ。目をそらさないでほしい。
— 星野智幸Tomoyuki Hoshino (@hoshinot) 2015, 11月 29
普通に想像を進めると、上にあるような法規制を行う場合には「どこからがそれなのか」といった線引きが問題になりそうだ。(とくにヘイトスピーチの方)
いわゆる「表現の自由」とぶつかる部分もあるだろう。
しかしより重要なのは、この中の「人を深く根源的に傷つける暴力」という部分だろう。これを実感できるか、できないかで意見は分かれそうだ。
いずれにせよ、体を直接傷つけるのではなく、言葉で精神的に傷つける行為を法に触れる暴力であると定義し、広く共有させることが出来たら、それは人類レベルでの進歩ではないか、という気がする。
決闘や仇討やさらし首やギロチン刑が行われなくなったように、野蛮な社会から洗練された社会への移行を示す一例になるかもしれない。