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致命傷にならない範囲で傷つけ合う

佐野さんのエンブレム使用中止、あまりにもショックが大きい。小保方さんやザハ案件と並べている人もいるけれど、起きていることの質がまったく違う。自分はこれを想起した。

佐野さんを糾弾する力の多くは高まった自らの欲求不満と攻撃欲求を満たすことを目的に動いているように感じられる。そのための都合のよい口実として良識や道徳が持ち出されるのだと。

その攻撃性は自分の中にもある。残りの人生で自分の中からそれが無くなるとも、周りから消えるとも思えない。

韓国で「ナッツ・リターン」という騒動が起きたとき、韓国の人は情緒がちょっと過剰じゃないかと感じたけれど、全然韓国だけの話ではなかった。現在日本で起きていることに、心底恐怖を感じている。

我々はこれからも叩き、叩かれるのだろうか。純粋な平和や愉快さをいくら求めたところで、その裏側で増殖する憎悪や嫉妬の力にいつ飲み込まれるかわからない。
限られた、いや限られているがゆえに強力な、圧倒的に矛盾のない稚拙な常識に支えられた攻撃に対して、今できることはひとまず殺し合わずに済むように、攻撃をしてもされても致命傷には至らないよう注意しながら、わずかであれ先へ可能性を繋げながら生き延びていくことなのではないか、と考えている。