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私の学習法 〜水辺を埋め立てる〜

数日前に以下の記事を書いたが、d.hatena.ne.jp

この検定試験、昨日正式に合格通知が届いて、見たら92点だった。(100点中)

合格ラインが70点で、一週間前まではそれすら無理、やばい、わからない、間に合わない……と思っていたのが嘘のような高得点だ。

じつは自己採点のときに、確実に間違ったところだけを減点して、それ以外のよく覚えていない部分は「とりあえず一旦ぜんぶ合ってることにしよう!」と、都合の良い集計をしたのだけど、その時に出てきた点数が92点だったので、ようは考えられるかぎりの最高点だった。

回答を覚えていなった部分のうち、絶対どこかで写し間違いとか、勘違いがあると思っていたので、なんだよ自分、時計もなかったわりにけっこう冷静だったじゃん、と他人事のように見直した。できすぎだ。

しかしなんと言っても、今回は基礎の授業を学校で受けたのち、試験対策は学校で受けられなくて、そこは独学というか、自分なりに受験勉強を組み立てて、それをコツコツやっていただけだったから、「自作の勉強法、機能したじゃん!」ということが驚きであり、喜びでもあった。

僕にとっては、その「勉強法」が自分のプロダクトというか、「作ったもの」であり、「道具」だったので、それがちゃんと「使えた」のが嬉しい。

今後の勉強でも自分に合わせて、目的を達成するための道具を作っていくだろうけど、そしてその中では数々の失敗を味わってもいくだろうけど、少なくとも一つは成功例を手に入れた。上手くいく場合もあるのだ。

しかしこれでつくづく実感したけど、「方法」というものは必ずしも「すでに出来上がったもの」としてお店に売っているものではない。
確かに世の中には、書店であれ学校であれ、他人が作った優れた「方法」がたくさんあるけれど、それをそのまま使わなければならない、ということはなくて、むしろ他人が作った方法を「素材(材料)」として扱い、それらを組み合わせたりアレンジしたりながら、自分に一番フィットしたものを作っていい場合もあるのだ。

その際には、ゴール地点としての「目的」と、スタート地点としての「自分」という2点をはっきりさせる必要があるだろう。そしてそれらがはっきり設定できれば、その間をつなぐ最短距離としての「方法」もまた、明らかに見えてくるのではないかと感じる。

ちなみに、今回使った具体的な勉強法の一端を紹介すると、一つには冒頭で紹介した記事にも書いた、「繰り返し聞くための音声ファイルの作成」と、iPhoneアプリを使ったその倍速再生、ということがある。

そしてもう一つ、簿記の勉強では練習問題というのが膨大にあるのだけど、これの解答用紙をいちいち全部、一旦コピーして、それを「原本」として全部ScanSnapでPDF化して、それをまたプリントアウトしたものを解答用紙として使った。

一見ずいぶん遠回りというか、余計な手間をかけているようだけど、もしこれをせずに、たった一つの解答用紙に書き込んでしまうと、その後は「繰り返し解く」ということができなくなる。

人によっては、鉛筆で書き込んだものを消しゴムで消してまた回答する、という風にしていたりもするようだけど、それをやると、今度は赤ペンを使って合っているところに丸をつけたり、間違っているところにバツをつけたり、何より「どこがどのように間違っていたか」ということを仔細に記録することができなくなる。

僕は回答欄に記入した間違った答えを「間違いのまま」残して、赤ペンを使ってそのうちのどこがどう間違っているか、ということを書き込むことが重要だと思ったので、それを実現するためには「解答用紙を量産するシステム」が必要で、上記はそのための方法だった。

一旦原本を用意して、それを元に何枚でもプリントアウトできるようにすれば、何回でも同じ問題に回答できる。

あとは、先に挙げた音声ファイルを聴きながら、先生が言ったことのうち気になった部分があれば、どんな細かいことでも教科書に鉛筆で書き込んだ。一応、ノートも別にあるのだけど、教科書に書けるかぎりはそっちに書いて、教科書じたいがノートにもなっているようにした。

結局のところ、1〜2度授業を聴いたぐらいでは「耳に入ってるだけ」で理解してないことが多かったので、「ここ、よくわかってないなあ〜……」という部分があれば、そこは教科書を凝視しながら、先生の話を音声で(やや速い速度で)じっくり聴く。
これをやると、何というか、ユルユルだった土台が徐々に固まっていくような感じになる。

大きく分ければ、今回はこの「音声を聴きながら教科書を見て、授業じたいを何度も追体験する」ということと、「練習問題を繰り返し解いて、その際の間違いの記録を明確に残す」という、2つのことだけをただやり続けた、ということかもしれない。

すでに始まっている2級の学習では、ここへさらに「日々の学習記録をきちんとトラッキングする」ということを加えたい。

プログラミングの勉強もそうだけど、知らないことを知っていく過程というのは、水辺を埋め立てていくことに似ていると感じる。なんというか、湖の上に家を建てるプロジェクト、というか……。

狙いを定めて、「ここを埋め立てよう」と決めたら、どんどん土を入れていく。土がようやく水面に姿を現しても、土台が水っぽいまま、その上に家を建てたらすぐに崩れてしまうから、水の余地がなくなるまで埋め立て続ける。それは単純な繰り返し作業だが、それがなければその上にモノを乗せることはできない。

またこの時、対象の領域が広大であれば、すべての場所でそれをやるわけにはいかないから、適当に間引いて要所要所を島のように埋めていく。島というか、飛び石のようなイメージか。飛び石ができたら、今度はその間を埋めていく。

ある分野についてよく知っている人と話していると、向こうは地続きの地面の上を歩いているけれど、自分は飛び石の上をジャンプしながらその人の横を歩いているような気になる。そしてある時、自分にはその先の足場がなくて、それ以上ついていけない、と感じることが少なくない。

知らなかった場所を自由に走り回るためには、水辺を埋め続けなければならない。今はたぶん、それをやっている。