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非論理的な言い訳にどう対するか

以前から似たようなことを感じてはいたが、うまく言い当ててくれたと思ったのはダニエル・カーネマンによる「ヒューリスティック」という概念だった。

複雑なことにも私たちがなぜ直感的に意見を言えるのか、私から明快な説明を提案しよう。難しい質問に対してすぐには満足な答が出せないとき、システム1はもとの質問に関連する簡単な質問を見つけて、それに答えるからである。このように代わりの質問に答える操作を「置き換え(substitution)」と呼ぶ。ここでは、もともと答えるべき質問を「ターゲット質問」、代わりに答える簡単な質問を「ヒューリスティック質問」と呼ぶことにする。
 
ヒューリスティックの専門的な定義は、「困難な質問に対して、適切ではあるが往々にして不完全な答を見つけるための単純な手続き」である。

ある質問に対して、ズレた回答が返ってきたとき、意図的であるかそうでないかにかかわらず、上記のような置き換え、すり替えが行われている。

たとえば、以下のようなやり取りがあったとしよう。

課長: (部下を呼んで)今朝遅刻したみたいだけど、どうしたの?
部下: 課長が以前、遅刻して良い場合もあると言ったので・・。

ここで部下が本来答えるべきことは、「寝坊しました」とか「電車が遅れたので」とか「朝、急に子供の具合が悪くなって」とかいった、質問者が提示する不明点を解消するものでなければならない。

言い換えれば、問われているのは「不明な箇所に何が当てはまるのか」ということであって、彼の遅刻が「許されるものかそうでないか」という判断やその根拠ではない。

しかしここでの彼は、「遅刻の理由は何か」と問われたことに対し、以前聞いた上司の発言(「遅刻して良い場合もある」)を、あたかも自分を正当化する根拠であるかのように取り上げた。これは聞かれた質問に答えず、聞かれていない質問に答えるという、じつに「ヒューリスティック」な行動だ。

僕はこれまで、自分からの問いかけに対して、この部下のような返答を受けたことが何度かある。それも、異なる人たちから。
ということは、上のようなやり取りは社会でもけっこう普通にあるのではないかと思えてくる。

このような言い訳をされた時に取れる態度は、「こいつは普段から身勝手で考えが浅いから、仕方ない」と諦めるか、面倒であることを引き受けた上で、しつこく話し合いを続けるか、その2方向しかない。

折衷案やブレンドの仕方によって、ほど良い落とし所を作ることもできるかもしれないが、いずれにしてもその両端を結ぶ直線上のどこかにしか対応法はなく、第3の方針は僕の知る限り、ない。

一時的な付き合いに過ぎない相手であったり、こちらが何を言っても態度に変化が生じる可能性が一切ないと思われる場合には、「そうなんだね」と話を終わらせた方が良いこともあるかもしれないが、今後長く付き合う可能性がある場合や、真摯に話し合う中で意識をすりあわせられる可能性があるのであれば、その時点では多少大変でも、それがいかに非論理的で、場当たり的で、その場しのぎの言い訳であるかを伝えた方がいいと僕は思う。

非論理的な言い訳がアリになると、現場全体としても、考えることが面倒な複雑な問題を避けがちになり、それにより人為的なミスが起こりやすくなったり、その再発を防止・減少させることが難しくなったりしそうだと思う。

ヒューリスティックな言い訳が人間にもともと備わった性向から生じるものだとすれば、それを無くすことはできないかもしれないが、チーム全体がそうした行動パターンの存在を意識することができたなら、多少なり業務の改善を期待することができると思う。