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酒を飲んで投稿してはいけない

そろそろ40になろうとしているけど、数カ月前から実践していることは、TwitterであれFacebookであれ、ブログであれ、酒を飲んだら投稿しない、ということだ。

もちろんそれ以前にしても、酒を飲んで何か言うのは危険、という意識を持ってはいたし、事の大小を問わずそれにまつわる失敗を味わってもきたけれど、最終的にその公開可否を判断するのはいつでも自分身でしかなく、その「自分自身」が酒を飲んでいるので、「べつに大丈夫だよ」となってしまいがちだった。

電気ショックを受けたネズミがその道を避けるように、失敗から学ぶような仕方でそれをやめる、ということも可能ではあるだろうけど、そうなると今度は、立ち直れないほどの失敗をするまではそれをやめる必要が生じない、ということになるし、その姿勢は得るものに比して失うものが多い気がする。

僕の場合、何か具体的に、きっかけになるような失敗があったわけではないのだけど、最近になってふと思ったのが、人は酔っ払っている時に、自分が酔っ払っていることを「本当には」理解できていない、ということだった。

口では「酔ってるよ」と言っていても、それは形式的に理解しているだけのことで、たとえ頭がボーッとしていても、体がフラついていても、その人は自分が考えている「内容」それ自体はまともだと思っている。考えている内容は普段と同じ「自分の考え」であって、その表れ方がいつもより多かったり少なかったりしているだけだと、たぶん酔っ払いは思っている。

しかし実際には、酔っ払いの考える「内容」は、普段のそれに比べて明らかに偏っている。それは視野が絞られている/狭まっているということで、利用の仕方によっては、それを建設的に用いることもできるかもしれないが、多くの場合は極端な発言や行為を生み出し、それによって他人を傷つけ、結果、自分も傷つくことになる。

そして繰り返すが、当の本人は、その時、自分がそのような偏った意識下にあることをけっして認識できない。居場所をどこに移しても、つねに自分の眼球からしか物を見ることができないように、自分自身の考えが普段とどう違うのか、自ら検証することができない。

酔っ払い自身が自分の酔っ払っている度合いを判断できない以上、公開の可否は「酔っているかどうか」ではなく、「飲んだかどうか」で判断するしかない。

血中アルコール濃度を測ったり、心理テストを行うなどすれば、その時にその人がどの程度「普段どおり」であるかを調べることも可能かもしれないが、非専門家が、しかも自らその判断を、そして手軽に下すために採れる基準は、「アルコールに口をつけたかどうか」ぐらいだろう。

じゃあ、飲んだら黙っているしかないのか? といえば、公開さえしなければ良いのだから、言いたいことがあるなら書きためておいて、翌朝以降に修正してから公開すればいい。

よほど緊急のことでもなければ、これで救われることはあっても、損をすることはないだろう。