103

岸野雄一さんの『恒例・新春オープンプライス・コンサート「エンドロールはNG集!」』に行ってきた

毎年1/11に行われる岸野さんの新春ライブに行ってきた。

■恒例・新春オープンプライス・コンサート「エンドロールはNG集!」
2014年1月11日(土) 18:30 OPEN・START @東京 渋谷 O-WEST
料金 : オープンプライス(お代は見てのお帰り。チケット代金はお客様の判断で決めて下さい)
※入場時にドリンク代500円がかかります。
出演 :

●1/11(土) 16時より会場受付にて入場整理券を配布致します。

このイベントにはかれこれもう5回ぐらい行っているはずで、そのつどブログに残しているつもりだったけど、探しても以下しかなかった。

最初のはたぶん初めて行ったもの。捏造と贋作とか出ていたな。二階堂和美さんとイルリメさんのコンビが最初で、最後がワッツで。ようは『大谷能生フランス革命』の流れで岸野さんに前年の9月頃に初めて会って、その流れで行ったんだと思う。

2つ目のは新春ライブではないけど、吉祥寺のスターパインズカフェで「岸野さん祭り」みたいのがあって、その感想。楽しかったなあ。今と同様、公私にわたりいろんな制約やトラブルがある中で時間を縫って行ったのだった。

3つ目のは相対性理論(2ndが出るか出ないかぐらいのまさにブレイクする瞬間の)が出ていた。おかげで物凄い大混雑だったが、今も印象に残っているのは七尾旅人さんのDJとトリのワッツだった。旅人さんの選曲&パフォームは素晴らしくソウルで、ワッツはなんか泣けた。で、今の今までずっと忘れていたけど、そこで僕はこんなことを書いていた。

ワッツタワーズを見るのは3度めだったが、これまでからさらにがっつり更新されていて感動やたのしみや嬉しさと同時に驚いた。まったく驚いた。次々に繰り出される、たしか聴いたことがあるはずだった曲目が今そのもの、となって生きている。(略)新しかったし今だったしとがっていて乾いていて豊潤で、熱くて、曲が素晴らしくて最後の最後まで満足するステージだった。これは凄い、これは凄い、と思って「メーンバー♪」と私も歌ったよ小さく。

まったくおどろいた。なぜなら、これはまさにぼくが昨日まさにその同じライブハウスで、同じバンドを見ながら感じていたことそのままだったからだ。

というか、この感想の書き方がまるで2009年と変わっていない。今は2014年だからもう5年経っているが、全然同じような書き方で同じようなことについて書いている。

僕はたとえば昨日、こんなふうに思った。

ワッツタワーズ、なんてことだ。同じ曲を聴いても全然以前以上に素晴らしく、よりキラキラして、より楽しく、より好きに聞こえる。一回一回全然違う体験だ。前に好きだったのと同じ意味で、前に思ったよりもっと大きく好きだ。

まるっきり上に引用した2009年の感想のままだ。

しかもまたしても、僕は最後に「メーンバ〜」と声を出して歌ったのだった。参加型のライブが大キライな(手拍子すら嫌な)僕が、だ。その歌の歌詞は、たぶん(年に一度の聞き取りだからおぼろげだが)、

メンバー 誰もがみなメンバー みな何かのメンバー 君を抜かして

というもので、ここで言う「君」とは僕のことだな、と思いながら、でもそこで声を合わせて(といっても轟音の中だから誰にも聞こえやしないが)「メーンバー」と歌うのだった。そして岸野さんはその曲中で、歌いながらイベントの出演者全員を紹介した後、最後にぼくらに向かって、

君たちがワッツタワーズだ!

と言うのだった。

冒頭には5回目、と書いたけど本当にそうだったか、もう分からないし、どうでもよいかもしれない。
今回も岸野さんの「みんな、ここで一緒に暮らしましょう」を聞けたし。

最後の安田謙一さんのDJタイム、すごく良かった。ワッツが終わった後、物販でケバブジョンソンの3rdとBITOさんのCD、あと映画美学校有志による同人誌「TOHUBOHU」も買ったりして、そのままロッカーに預けていたコートも着てしまっていたので(後は余韻を楽しむ程度のつもりだった)あまり体を動かせなかったけど、それでもすごい盛り上がった。安田さんが「あんまり働いた気がしないので、歌います」といって松崎しげるの『銀河特急』を歌い上げたのがすんごい良かった(歌詞で検索して初めて知ったが筒美京平さんの作曲だった)。一旦退場して出口で集金していた岸野さんも戻ってきて、最後はアイドル曲だか歌謡曲だかソウルなんだかよくわからない、でもえらい盛り上がりであるには違いないすごい曲(そしてこういう曲ほど最後の転調がむちゃくちゃ効果的だと初めて思った)がかかってなんというか全部使い果たした、という気になった。

じつはイベント中、もしかしたら大瀧さんにまつわる何かが出てくるかな、と思っていた。でも一度、中盤のDJタイムに「はいからはくち」がかかっただけで、それがたぶん最初で最後だった。大瀧さんが僕らに言ったことは、過去を知って新しいものを作れ、ということだったと僕は思っている。僕らは過去の上に立つ新しいものを作り、それを見たのだと思う。来年も行けるかは分からない。でもいつ一人で死んでも大丈夫なように、そうやってやっていきたい。